帰国体験記4|ドルトン東京学園中等部 3年生 Kさん

帰国後、渡航前に通っていた幼稚園の系列中学を受験しました

マドリードの日本人学校で学んだ後、母の勧めで現地校へ

Kさんは小学3年生の夏、予備知識もないまま、母親とともにスペインのマドリードで暮らすことに。学校は、日本人学校に2年間、その後、現地校に1年間通った。

「渡航前は、そもそもスペインという国を知らなかったので、『スペインに行くよ』と言われても、『どこ?』という感じでした。それに、スペイン語どころか英語も勉強せずに移住したので、最初は日本人学校で学ぶことになりました。そして2年目が終わる頃、母から『現地校に行ってみない?』と言われて。母は私に“人生を豊かにするために、いろいろな経験をさせたい”という考えもあって渡航していたようです。転校するときは、日本人学校の友だちとは連絡先を交換したのでさみしい気持ちはなかったけれど、言葉が分からないのでやっていけるか不安でした」

スペイン語と英語での授業に苦労 優しい先生と友だちに救われた

Kさんの通った現地校は、国語と算数にあたる教科はスペイン語で、社会と理科にあたる教科は英語で、というように、二か国語が学内公用語として使われていた。

「通い出してみると、友だちはみんな優しくて、スペイン語をゆっくりと話してくれました。おかげで意思疎通をなんとか図れるようにはなりましたが、授業については、算数以外はまったく分かりませんでした。それがとてもきつかったです。ですが、先生が個別で分からない授業の補習をしてくれたり、私専用のテストを作ってくれたり、本当によくしてくれました。優しい先生と友だちに助けられました」

とはいえ、『これからどんどん難しくなる中学校の勉強は日本語でしっかり学びたい』。そう考えたKさんは、母親と相談。その結果、3年間のスペイン生活を終え、小6の夏の終わりに帰国することになった。帰国後は公立小に編入し、早速、帰国生入試の受験勉強を始めた。

「受験専門の個別指導塾に通いながら、対策を進めました。算数は、最初は難しかったけれど、コツがつかめたらパズルのように解くことができました。漢字は、現地校に通っていた間の小6の分だけ急いで覚えて追いつきました。受験対策で一番苦労したのは、作文です。制限時間内に、整った文章を書くことが難しくて、何度も何度も練習しました」

興味があるのは、スペインでふれたアートと鉱物と化石と猫

Kさんはスペインに行く前、幼少期にドルトンスクール東京校(幼稚園)に通っていて、楽しかった思い出が沢山ある。そのため、志望校探しでは、真っ先に、系列のドルトン東京学園中等部を見学。変わらぬ自主性尊重の空気を感じ、『やはりここがいい』という思いを強くした。帰国生入試では、国語と算数の教科試験、本人面接と保護者同伴面接を経て、見事、合格を手にした。

「この学校は、先生と生徒の距離がとても近くて質問をしやすいので、楽しく学べています。今、特に好きな授業は理科なのですが、生徒一人ひとりがそれぞれ興味のあるテーマを決めて研究できるんです。私は『もやしもん』という漫画を読んで菌に興味がわいたので、青色に発光する菌を培養しています。この菌を何かアートに使えるといいな。マドリードに住んでいた時はプラド美術館などでアートにふれる機会が沢山あったので、そのときの感覚も活かせたらおもしろいなと思っています」

芸術の街とも言われるスペイン・マドリードでは家から歩いていける距離に美術館が点在し、アートを存分に楽しんだKさん。現在の部活動でも、美術部の副部長を務めている。その一方で、理系にも興味があるという。

「マドリードでは母とよく博物館にも出かけて鉱物や化石を観察していました。なので、今は漠然とですが、理系の研究職に就くのもいいなぁと思っています。それと、もともと動物が好きで、現地で猫を飼い始めてさらに好きになったから、獣医師の免許もとりたいです」

好奇心旺盛な中学3年生。将来の夢は大きくふくらんでいる。

親への感謝

母に『勉強しなさい』と言われたことはなく、『どんな点数でも大丈夫』という感じなので、逆にモチベーションが上がりました。スペインの現地校では言葉が分からず大変な思いもしたけれど、アクティビティなど楽しい思い出もあり、今となっては良かったと思えることが多いので、良い経験をさせてもらったと思います。勉強に関しては、祖父に聞くことが多いので、祖父にも感謝しています。

今、海外にいる同世代へのMessage

私は現地校の友だちと連絡先を交換しておけばよかったと後悔。帰国前に連絡先を聞いておきましょう!

滞在歴

日本0歳~7歳(小3・6月)、私立幼稚園→公立小
スペイン・マドリード7歳(小3・6月)~11歳(小6・8月)、日本人学校→現地小学校
日本11歳(小6・8月)~、公立小→私立中

取材・文/本誌編集部、中山恵子

恵子