「模擬国連部に入り、大会で発表するようになって、『変わったね、堂々としているね』と言われました」
富士見丘高等学校 2年 R・Oさん(16歳)
※2019年11月インタビュー時点
時期 | 場所 | 学校 |
---|---|---|
誕生~1歳 | フランス・パリ | |
1歳~9歳(小3、3月) | 日本 | 私立小学校 |
9歳(Y4、4月)~15歳(現地ではY10、日本では中3の1月) | イギリス・テルフォード | 現地校 |
15歳(高1、4月)~ | 日本 | 私立高校 |
小4のとき、イギリスの中西部の都市へ引越し
父親が赴任していたフランスで生まれたR・Oさんは1歳で帰国し、東京都の私立小学校に入学。さらなる海外転勤同行に備えて英会話教室にも通っていたものの、「ほとんど話せなかった」という。小4にあがるとき、父親がイギリス・バーミンガム近郊の都市に転勤になり、そこから離れたテルフォードという街に住むことに。現地校に通うことになったが、英語力に不安があったため、1つ学年を下げて小3のクラスに編入した。
「現地校には日本人の子が何人かいて、通訳をしてくれたり、たくさん助けてもらいました。イギリス人のクラスメイトもみんな優しくて、私が聞きとれるようにゆっくり話してくれました」
小3を終え、小4の途中で小5にあがり、毎週土曜日の補習校にも通い始めた。いつ帰国が決まるかわからないため、日本での中学受験に備えて勉強をしておくためだ。けれども結局その後もイギリスにとどまることになり、現地中学校に進学した。
片道3時間の通塾で日本の高校に合格!帰国生の多いクラスへ
中3になった頃、親の勧めでロンドンにある塾に通い始めた。
「両親は、私を日本の高校に通わせようと考えていたみたいです。いつかは帰国するので、それなら高校進学のタイミングがいいね、と。補習校では簡単な勉強しかしていなかったので、受験に備えて毎週土曜日に塾に行きました。ただ、テルフォードからロンドンまでは車で片道3時間もかかるので、塾で親しい友だちを作る余裕なんてないほどに忙しかったです。塾がある日は移動と勉強で1日が終わっていました」
現地の中学校を卒業し、いったん9月から現地校で高校生に。その秋、ロンドンで行われた日本の富士見丘高校の帰国生入試を受験。いくつか他の高校も受験した中で、同校への入学を決めた。
R・Oさんが入ったのは、インターナショナルスクールや英語圏の現地校の出身者など高い英語力を持っている生徒を対象としたコースだ。久しぶりの日本の学校では、現代文の授業に出てくる難しい漢字が読めないなど戸惑うこともあったというが、帰国生のクラスメイトも多く、すぐに馴染めたそうだ。
英語でのプレゼン経験を経て意見を伝えられる喜びを実感
この高校で、R・Oさんは本気で取り組めるものに出会えた。「模擬国連部」での活動だ。1月に帰国して4月に入学するまでのわずか数カ月間でも英語力の低下を感じたR・Oさんは、“英語をたくさん使う部活”と聞いて入部した。
「国際的な問題を英語でディスカッションしたり、テーマに沿って調べて発表したりしています」最初は先輩に教わりながらただ楽しく活動していたが、1年生の冬、初めて中高生向けの模擬国連大会に参加して人前で発表してから、「もっと真剣に取り組みたい」と思ったという。
そして高2の夏、「ひろしまジュニア国際フォーラム」という世界的な討論会に自分一人で応募。事前の英語力審査などを通過し、世界32カ国から集まった高校生とともに、核廃絶と世界平和の構築に向けたプログラムに参加した。
「自ら申し込んだものの、顧問の先生と二人だけだし、行く前は緊張して『やっぱり行きたくない』と思ったのですが、実際に始まったらすぐにみんなと仲良くなれて、とても楽しかったです。広島から帰ってきてから、部活の先輩や友だちに『変わったね、堂々としているね』と言われるようになりました。実は私は人見知りでそれほど積極的でもなく、プレゼンも嫌々やっていたんです。でも、あの大会に出たことで、プレゼンで自分の意見を伝えるっていいな、と手ごたえを感じられたのです。その後、プレゼンが好きになり、修学旅行のプレゼンにも自ら立候補しました(笑)」
模擬国連部の活動を通じて、R・Oさんには夢が芽生えた。
「大きな夢で自分にできるかわかりませんが……。発展途上国の色々な問題に対して現地の人々と直接お話をして、何か助けられるようなボランティア活動をできたらいいな、と思っています」
海外滞在時の思い出写真
イギリス・テルフォードの現地校にて。左から3人目が小野さん。友だちと過ごした日々が何よりの思い出。
帰国後の学校への入学方法
受験方法 | 帰国生入試 |
---|---|
選考方法 | 英語エッセイ、日本語作文、書類、面接 |
受験勉強開始期間 | 中3 |
親がしてくれたことで感謝すること
「テルフォードは田舎ですが、日本人が多くて住みやすかったです。父の勤務先はそこから遠かったので、私のことを考えてテルフォードを選んでくれたことに感謝しています。母には、学校や部活を選ぶときなどいつもアドバイスをもらっています」。