アメリカの理数系高校で膨らんだ宇宙への夢を叶えるため日本の大学に進学
東京大学 理科一類 1年生 T・Fさん(19歳)
※2023年11月の取材時
渡航歴
日本 | 生まれ~0歳 |
ポーランド | 0歳~5歳、現地園 |
日本 | 5歳~9歳(小2・3月)、幼稚園→公立小学校 |
メキシコ | 9歳(小3・4月)~13歳(小6・3月)、現地校 |
アメリカ | 14歳(G7・5月)~18歳(G12・6月)、現地校→全寮制の現地校 |
日本 | 18歳(大1)国立大学 |
長い海外生活でも保ち続けた
日本人としてのアイデンティティ
生まれてすぐに家族でポーランドに移り住んだT ・Fさん。5歳の時に一度帰国して、9歳まで日本で暮らしたが、その後、メキシコ、アメリカで4年ずつ暮らす。大学に進学するまでの間、日本で暮らしたのはわずか4年間だった。
「それでも、不思議と日本人としてのアイデンティティを強く持っています。海外にいても日本の音楽を聴いたり、日本の本や漫画を読んだりしていました」
メキシコでは、この機会にスペイン語を習得させたいという両親の思いもあり現地校に通う。
「先生に恵まれて、丁寧にスペイン語を指導してもらったお陰で1年ほどである程度話せるようになりました。小学生は会話のレベルもさほど高くないので大した苦労はありませんでした」
理数系の高校に転校して
活路を見出す
しかし、アメリカに移り住んでから初めての挫折を味わう。
「ノースカロライナ州のアジア人がほとんどいない地域で現地校に通いました。英語はスムーズに習得でき、コミュニケーションは問題なくとれたものの、心からは打ち解けることができませんでした。超富裕層の子どもが多く、生きてきた世界が違い過ぎたんだと思います」
人間関係で悩んでいたと同時に、得意だった理数系科目をより専門的に学びたいという思いが強くなっていた。そこで、現地の理数系の全寮制高校に転校することに決めた。
「先生の半分が博士号を持っていて、高校の学習範囲から逸脱したことまで学べるカリキュラムがとても魅力的でした。まるで“小さな大学”のような高校だったんです。移民二世が多かったので、日本人でも浮くことはありませんでしたし、理数系科目が好きなもの同士で話も合いました。ロケット部に入って活動したり、数学コンテストに挑戦したりしたことはいい思い出です」
母国で暮らし、学ぶため
日本の大学への進学を決意
理数系高校で大学レベルの航空宇宙工学について学んだことで、航空宇宙産業に携わりたいという思いがより一層強くなった。高校卒業後は、推薦でそのままアメリカの州立大学に進学することも可能だったが、そこでは自分の望む学びができない。そこで、日本の大学の中でも航空宇宙工学分野で実績のある東京大学への進学を志した。
「学びのためだけでなく、日本で暮らしてみたいという思いもありました。そこで、現地校を卒業後、日本の大学を受験するために一人で帰国することにしました」
帰国後は、河合塾の海外帰国生コースに入り、寮で勉強に励んだ。
「食事が付いていることはもちろん、自習室もあり、規則正しい生活を送りながら勉強できる環境が整っていました。アメリカの高校で学んでいなかった範囲の出題も多かったのですが、河合塾のおかげでフォローすることができました。河合塾に行かなかったら、どこの大学にも受からなかったかも……」
アメリカの大学院も視野に
学業に取り組む
結果、東京大学の帰国生入試に合格。半年ほど前から一人暮らしもスタートさせている。
「初めての一人暮らしは大変で、親に感謝することが増えました。現在は学業に励む一方、サークルに入ったり、アルバイトをしたり、学生生活を満喫しています。高校時代に航空宇宙工学の基礎を先行して学んでいたため、大学の授業はスムーズに理解できています。アメリカの高校での教え方と違って、理論を丁寧かつ緻密に解説してもらえるので、より理解が深まりました。今後、実験や研究を通して、学んだ知識を実践的にアウトプットしていくのが楽しみです」
日本での大学生活が始まったばかりのT・Fさんだが、その目は将来をしっかり見据えている。
「日本の大学に通ったことで選択肢が増えたと感じています。大学卒業後は、そのまま東京大学の大学院へ進学するだけでなく、航空宇宙工学の本場であるアメリカの大学院へ留学したり位、パイロットを目指したり、色々な可能性を視野に入れています。最終的には航空宇宙産業に何らかの形で携わることが目標です」
親への感謝
理数系の全寮制高校に転校したのは、「面白そうだから行ってみない?」と両親が勧めてくれたからでした。また、日本の大学を受験する際には、帰国の準備や河合塾への入塾の手続きなどを手伝ってくれました。サポートはするが決して押し付けることはしない両親のおかげでより良い道が開けたことにとても感謝しています。