ほかにない経験を!と飛び込んだ海外生活
社会課題についても大きく視野を広げました
鷗友学園女子高等学校 1年 A・Yさん(15歳)
※2021年11月インタビュー時点
渡航歴
時期 | 場所 | 学校 |
---|---|---|
10歳(小5・8月)~12歳(小6・3月) | インドネシア・ジャカルタ | インターナショナルスクール |
12歳(中1・4月)~13歳(中1・9月) | 日本 | 私立中学校 |
13歳(中1・10月)~14歳(中2・12月) | インドネシア・ジャカルタ | インターナショナルスクール |
14歳(中2・1月)~ | 日本 | 公立中学校→私立高等学校 |
英語で伝えたい一心で苦手意識を乗り越えた
A・Yさんは約半年間の日本滞在を挟み、インドネシアのジャカルタに2回渡航している。1回目は小5のとき。
「もともと父が現地で単身赴任をしていたのですが『家族全員で暮らしたい』という思いが強くあって。母と兄と追いかける形で渡航しました。一般で中学受験をするつもりでいた小5というタイミングでしたたが、『新しいことを体験してみたい!』とワクワクする気持ちのほうが大きかったのを覚えています」
現地ではオーストラリア系のインターナショナルスクールに通った。1クラス15人、1学年30人というアットホームな環境で学校生活を楽しむ一方で、英語についてはほとんど準備をしなかったため、当初は苦しんだという。
「初日は何を話しているのかまったくわからずに泣いてしまいました。でも、ESLなどで必死で勉強しているうちに、どんどんわかるように。あとは親友と呼べる様々な国籍の友だちができたことも、英語ができるようになったきっかけです。それまでは、文法に苦手意識があって英語で話すことに抵抗があったのですが、それが気にならないくらい話したいことがたくさんできたんです」
私立中学に半年行き海外へ。そして復学
学校生活を楽しんでいる中で日本の小学校卒業の年齢が迫ってきたA・Yさん。母親と一時帰国し中学の帰国生受験に挑んだ。現在通う鷗友学園を選んだのは、女子校を希望していたこと、優しく飾ら
ない校風が性格に合うのではないかという母親の勧めがあったこと。また、帰国生への対応が柔軟だったことも大きい。父親の任期がまだ1年半以上あったため、再度インドネシアに渡る予定もあった。そこから帰国した際、安心して復学できる制度や配慮のある学校を探していたのだ。
「2度目の帰国後は現地の成績を提出したり、面接をやってもらって、かなりスムーズに復学することができました。海外に出ても、同じ学校に戻れるというのはすごく安心感がありました。帰国してから感じたのは、英語の力がついたなということ。この学校の図書館には英語の書籍が2万冊もあるんですが、英語力をキープするために通っています」
他の教科では学習の遅れを取り戻す必要もあった。
「特に苦労したのが古典です。でも、先生が付きっきりで面倒を見てくれたりもして、なんとか追いつけました。クラスメイトが教えてくれたのも心強かったです」
格差社会を体験し大きく広がった視野
発展途上国という一面を持つインドネシアでの暮らしでは、生活するにあたっての不便も多くあった。しかし、日本で暮らしているだけでは得難いものも多かった。
「ムスリムの多い国なのでモスクがたくさんあって、お祈りは1日に5回。いつもお祈りの音が流れているような環境です。あまりに日本と違いすぎて、衝撃を受けました。違いは他にもいっぱい。安全性を考えると公共交通機関も全然使えず、外出するときは現地の運転手さんと一緒でした」
家にはお手伝いさんが常駐。日本ではあまり一般的でない職業の方との接点を持つことで、格差社会について強く考えるようになったという。
「インターナショナルスクールの友だちにはとても裕福な家庭の子どももいて、貧富の差が大きいことに気が付きました。そんな中、学校では貧困問題を取り上げる授業もあったり、孤児に水泳を教え
る活動も。世界には様々な人々がいて、様々な生活が存在することを学びました」
現在の鷗友学園でも貧困と環境破壊が密接に関係することを学んだA ・Yさん。将来は、大学で環境について学びたいと語る。
「環境問題が一生を通して学び続けたい課題になりました。そのうえで、貧困を減らすことができたらいいなと思います」
親への感謝
やりたいことを見つけられるように背中を押し、目標ができれば全力でサポートしてくれる──、家族は私にとって、可能性を広げてくれるかけがえのない存在です。受験と重なる大変な時期の海外生活を支えてくれたこと、感謝してもしきれません。