スペシャルインタビュー〜私の人生の歩き方〜 俳優・ファッションモデル 栗原 類
現在、俳優、そしてファッションモデルとして活躍中の栗原類さんは、シングルマザーのお母様と一緒に幼い頃から世界各国を訪問。5歳からはニューヨークで過ごし、8歳のときに、現地で注意欠陥障害(ADD)と診断を受けます。11歳で帰国後は日本の学校に馴染めず、不登校も経験。しかし、持ち前の表現力と英語力を活かし、俳優やモデルとして海外をフィールドに入れた活躍をするまでに成長。ともに発達障害のお母様とともに、どのように道を切り拓いてこられたのかについて伺いました。
世の中には様々な人がいる、それを理解できて運が良かった
――栗原さんは、音楽関係の翻訳やジャーナリストの仕事をなさっているお母様とともに、幼い頃から、日本を始め欧米の様々な国で生活を送られたそうですね。
栗原類さん(以下、栗原) 海外の色々な国を訪れる中で、日本、ロンドン、ニューヨークで現地の保育園に通いました。そのうえで、僕がニューヨークの環境を気に入り、母も仕事をしやすいエリアということで、僕が5歳から11歳までをニューヨークで暮らしました。
――現地の生活で印象に残っていることを教えてください。
栗原 僕が通った公立小学校には、黒人やアジア人、ユダヤ教を信仰する生徒など、多様な子たちが共存していました。当時はそれが当たり前と思っていたのですが、今思えば、世の中には様々な人がいることを一足先に理解できて運が良かったです。また、小学1年生の頃は、僕は笑いに対する情緒がなかったようで、クラスの子の笑い声が聞こえると、「自分が笑われている」と思い込み喧嘩を起こすことがありました。その様子を心配した担任の先生のサンドラが、「類くんは笑いを理解できたほうがいい。コメディの番組を見せてほしい」と母に言ってくれて。『サウスパーク』というアニメを見始めたことで、笑いの魅力に目覚めました。
8歳のとき、親子ともに発達障害と診断され…
――担任の先生のサポートのおかげで、世界が広がったのですね。
栗原 そうなんです。なので、とても感謝しています。同じ時期に、サンドラは、僕を発達障害かもしれないことも母に伝えてくれました。アメリカの学校では、自分のクラスの生徒に発達障害の疑いがあれば、保護者に伝える義務があるのです。それで受診したところ、僕は注意欠陥障害(ADD)、母は注意欠陥多動性障害(ADHD)と、親子ともに発達障害という診断が下りました。ただ、教育委員会からは、「診断結果をお子さんに伝えるのは今すぐではなく、ご自身のタイミングの良いときでいいですよ」と言われたそうで、母がその話をしてくれたのは、受診から少し過ぎた頃。僕が8歳のときでした。
――当時を覚えていますか?
栗原 母と映画『ファインディング・ニモ』を観に行った際に、劇中に出てくるキャラクターのドリーの言動が楽しくて。映画を見終わったあとに、「ドリーっておもしろいね。何でもすぐに忘れちゃうんだね」と話すと、母はベストなタイミングと思ったみたいで、「あなたも実は同じなんだよ」と僕に言いました。そのときは、映画を観ている人みんながドリーのことを笑っていたので、自分は笑われる存在なのかもと、複雑な気持ちでした。
帰国後は積極性を評価されず戸惑うことばかりだった
――お母様は、いずれ日本に帰国する際、栗原さんを「帰国子女枠で受験させたい」と想定していたことから、家庭でも英語で会話をしていたとか。そのうえで、栗原さんが5年生のときに、「日本で生きるノウハウを早めに身に付けさせたい」と思い、帰国したのですよね。
栗原 結果的には、中学も高校も帰国子女枠での受験はしなかったのですが、日本に帰ってきてからも、家では英語をメインに話していました。ただ、小学校では日本語に苦労して……。授業中も戸惑いを感じることが多かったです。
――どのような点で苦労を?
栗原 たとえば知らない単語がある場合、アメリカでは電子辞書で調べていました。僕は発達障害の影響で手先が不器用なので、分厚い辞書を一ページ一ページめくるのがとても苦痛なんです。そのため、学校は電子辞書の使用を許可してくれていたのですが、日本の先生には「みんなと平等じゃないから普通の紙の辞書を使うように」と言われて……。視力が悪い子は眼鏡を使えるのに、僕が電子辞書を使えないのはフェアではないと思いました。3年ほど前、当時放送されていたドラマで同じようなシーンを見たときに、僕が小学校を卒業してから20年近く経っているのに、まだ解決されずに問題になっているのかと少し呆れました。
帰国後も積極性は大切に 人は、積極性を奪われてはいけません

――アメリカと日本の学校生活には違いを感じましたか?
栗原 アメリカでは授業中に発言をするとき、たとえ正解がわからなくても、答えようとする積極性が評価されました。日本の場合はその反対で、発表して答えを間違えると、周りの子たちが大きな声で「またルイだよ」みたいなことを言って冷たい空気が流れたんです。このときの経験は、その後の自分の積極性を奪ったと言っても過言ではありません。時間が経って、大人になっても引きずっている部分があるほどです。海外で学校生活を送ったあとに日本に戻ってくるお子さんは、「授業で積極的に答えることは悪」と感じる瞬間があるかもしれませんが、それは間違いです。周りのほうが悪だと思えばいい。人は、積極性を奪われてはいけません。
不登校も経験した中学時代 学校がすべてではありません
――小学校を卒業したあとの生活は順調だったのでしょうか。
栗原 いえ、中学校はもっと大変で、自分の人生のなかで一番地獄の時代でした。地元の中学に進学したところ、身長が高くてハーフなので目立つみたいで、上級生に脅されるようになって……。2週間ほど不登校になったこともあります。このときに頼ったのは、主治医の先生です。日本に帰国してから今も診ていただいていて、母は、反抗期だった中学生の僕に対して、「私に話したくないことは主治医の先生や周りの大人に話していいからね」と言ってくれていました。
――学校以外に居場所があってよかったですね。
栗原 そう思います。中学生の頃からモデルの仕事をしていたり、母の友人や仕事関係の人と会う機会が多かったこともあり、学校以外の世界の人と交流しながら、柔軟な考えを無意識に取り入れていたように思います。僕は、「学生時代は超楽しかった」と言う人の話を聞くと、「君は嘘をついているね」と思うレベルのひねくれ者で(笑)、学校という組織では、嫌なことは少なくてもひとつはあるはずと考えるほうです。学校でどうやって生きていくかを考えることも大事かもしれませんが、それがすべてではないし、学校中心の考え方は持たなくていいと思っています。
――中学卒業後もモデルの仕事を続け、俳優への道も考えていたことから、高校は芸能活動が容認されている学校に進学なさいました。進路の選択はお母様がずっとサポートしてくださったようですが、お母様に言われた言葉で印象深く残っているものはありますか?
栗原 「勉強が好きじゃないなら無理にしなくていい。でも、好きなことは絶対に努力しなさい。そこで努力しなかったら永遠に努力できない」という言葉です。また、モデルをしていると褒められることが当たり前のような状態になるので、「あなたは現場で一番下っ端なのだし、勘違いしないように。そして、感謝の気持ちは言葉で表すように」ともよく言われました。発達障害があると、感情が外に表れにくいこともあり、周りからは「楽しんでいないのかな?」と思われることも多いんです。そういう意味もあって、お礼や感謝の思いは言葉にしなさいと教えられました。

悩みは抱え込まないで 壁にぶつかったら周りの力を得てほしい
親御さんは、子どもを守るために戦わないといけないこともある
――今、改めて、お母親に感謝することをお聞かせください。
栗原 多様な世界に触れてほしいと、僕が幼い頃から数多くの国で海外経験をさせてくれました。そのおかげで、今は、英語で芝居をするチャンスや海外関連の仕事、通訳もやらせていただく機会があります。将来の僕のために30年前から投資をしてくれた母には、本当に感謝しています。
――現在、発達障害を持つお子さんを育てている親御さんへ、メッセージをお願いします。
栗原 悩みをひとり抱え込まないでほしいです。支える側の親が一番大変な思いをしていると思うので、壁にぶつかったら、周りに話したり専門家の協力を得ることも惜しまないでください。僕の母は、客観的な意見を知るためにも主治医の先生に力をもらっていました。先生の支えがあるから、僕らは親子で発達障害を持ちながらも社会と向き合えているのだと思います。
――弊誌の読者の方々は、今は海外で過ごしていますが、将来は日本に帰ってこられるご予定です。帰国後の生活に向けて何かアドバイスをいただけますか?
栗原 親御さんは子どものために戦わなきゃいけない瞬間もあるはずです。たとえば僕の母は、小学校の先生から保護者面談で「5年生になっても自分の名前を漢字で書けないのは類くんだけです」と言われたのですが、その際、「でも、自分の名前を英語で書けるのは類だけですよね」と言って先生を黙らせました。海外と日本で環境が変わると大変だと思いますが、子どもを守るために、戦うべきときはちゃんと戦ってほしいと思います。
――最後に、栗原さんの今後の目標を教えてください。
栗原 いつか大学に進学し心理学を学んでみたい気持ちもありますし、最終的には自分にとって思い入れのあるニューヨークかアメリカのどこかに拠点を移し、アカデミー賞にノミネートされるアジア人俳優になりたいと思っています。
好きな言葉は?
パラサイト(皆さんには引かれるかも……。言葉の意味ではなく、純粋に響きが好き)
嫌いな言葉は?
特になし
どんなときにウキウキする?
会いたい人たちに会える日
どんなときにげんなりする?
お腹が空いたとき
好きな食べ物は?
洋菓子(バームクーヘン、フィナンシェ、アップルパイなど)
嫌いな食べ物は?
チーズ。嫌いというか苦手
朝起きていつもすることは?
猫にごはんをあげる
寝る前にいつもすることは?
YouTubeのゲーム実況配信のアーカイブを音ありで流しながら聞き、そのまま寝落ちする
マイブームは?
ひとりでラーメンを食べに行く
生まれ変わったら何になりたい?
薔薇
NHK 大河ドラマ『豊臣兄弟!』に榊原康政役で出演中! NHK毎週土曜20:00〜(日本時間)
プロフィール
くりはら・るい
1994年東京都生まれ。イギリス人の父、日本人の母を持ち、幼い頃から母とふたりで様々な国を訪れ、5歳からはニューヨークで過ごす。8歳のときに発達障害と診断され、11歳で帰国。中学時代から『POPEYE』『MEN’S NON-NO』などの雑誌でモデルとして活躍。17歳のときにバラエティ番組に出演しブレイクを果たす。19歳でパリコレデビュー。著書に『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』(KADOKAWA)。
文・編集/本誌編集部、田中亜希 撮影/松谷亮志







