海外で頑張る先生にスポットを当てた今企画。
先生になったきっかけ、海外に来た経緯、やりがい&大変なこと、今後の夢などを伺いました。
―もともとは高校で教師をされており、その後に塾の先生としてシンガポールに滞在されていますよね。なぜ、塾の先生になられたのでしょうか。
「実は塾の先生になるつもりはなく、役員面接で初めてその募集だと知ったんです(笑)。応募したきっかけは『朝日ジャーナル』という週刊誌で目にした『We need you!』なるキャッチコピー。海外での教育者募集ということで『面白そう!』と思い履歴書を送りました。それで役員面接後、流れに逆らえずに思いがけず塾の先生になったのですが、人生とは面白いもので、現在に至るまでずっと塾畑を歩んでいます」
―塾の先生を経て、2004年からは現在の(塾)ファイ-JKTをインドネシアのジャカルタで立ち上げておられます。海外での事業立ち上げは大変でしたか?
「はい、我々は外国人ですからまず認可を取らなくてはなりませんが、これがなかなか大変で。営業認可取得の際は現地の教育省に色々説明するのですが、“日本式の学習塾”の概念を理解してもらうのに苦労しました。またスタッフなどの個人のVISA取得についても役所のトップが変わるたびに必要書類が変更されたり、取得期間の幅が1カ月~1年と大きくなったり…。当塾にはたまたま比較的早くに認可が下りたのですが、運が良かったという側面もあると思います」
―運営後も色々大変だとか。例を教えてくれますか。
「当塾のスタッフには日本人スタッフのほかにインドネシア人が20名ほどいますが、異文化ゆえに互いに歩み寄る姿勢が常に必要です。例えばインドネシア人がしばしば発する『TIDAK APA APA』という言葉。大丈夫、気にするなといった意味でこの言葉自体は大したことないのですが、問題は使われるシチュエーションです。私生活はもちろん、仕事上でも日本人なら『これはダメでしょう』と感じる場面でも『TIDAK APA APA』。慣れないとカチンときます(苦笑)。インドネシア人スタッフの採用時には、失敗した時には隠さずに報告し、「私は知らない」と言わないこと。そして『TIDAK APA APA』とも言うなと必ず伝えているほどです」
―インドネシアでお仕事をされる上でのやりがいは何でしょうか。
「語りつくせませんが、異国での塾ということで総じて生徒の学習意欲が高く、それをいかに学力UPにつなげるかということに集中できる点です。あとは帰国先が広範囲に渡るので日本の各地域での受験事情を知るのが楽しくもあります。また日本各地の私立学校の校長・教頭先生とお話をさせていただく機会が多いのですが、数十年後の教育を現実として捉え、挑戦を続ける方々とのお話にとても感銘を受けています。当塾も、ゆくゆくはジャカルタから飛び出して、数多くの優秀な教師たちが世界各地で活躍できる場を作っていきたいと思っています」
プロフィール
(塾)ファイ-JKT代表 普入紀夫氏
大学卒業後、高校の教師を経て、JOBAに転職。JOBAシンガポール校(HINOKI PRIVATE SCHOOL)の立ち上げから5年間シンガポールに滞在。帰国後、JOBA国内校(ひのき秀英学院)、世田谷ヴィレッジ、JOBA本部にて勤務。2004年10月からジャカルタで(塾)ファイ-JKTを立ち上げ現在に至る。私生活では妻と12歳の息子とジャカルタに暮らす。