「父についていったドイツで、学校以外の生活も経験でき、積極性が身に付きました」
一橋大学経済学部 G・Nさん(21歳)
※2020年10月インタビュー時点
渡航歴
時期 | 場所 | 学校 |
---|---|---|
5歳~9歳(小4、5月) | 韓国・ソウル | 現地幼稚園→日本人学校 |
9歳(小4、5月)~15歳(中3、5月) | 日本 | 公立小学校→私立中学校 |
15歳(G10、5月)~17歳(G11、4月) | イギリス・リッチモンド | アメリカンスクール |
17歳(G10、4月)~20歳(G12、6月) | ドイツ・シュトュットガルト | インター |
20歳(予備校、6月)→(大1、4月)~ | 日本 | 国立大学 |
韓国、日本、そしてイギリスへ
幼稚園の年中のときに父親の転勤で韓国に行くことになったG・Nさん。
「ソウルの日本人学校に通ったので、学校では語学の壁は感じませんでした。困ったのは習い事のテコンドーで韓国語がわからず、友だちができなかったこと。徐々に韓国語を話せるようになったら友だちもできました」
小4の5月に帰国、地元の公立小学校へ。
「みんなが知っている歌やお笑い芸人のことを自分がまったく知らないことが衝撃的でした。また、韓国の学校は勉強熱心だったので、授業に少し物足りなさを感じましたね。それもあって中学受験をしました」
中高一貫の私立校へ進学したG・Nさんは、硬式テニス部に所属し、学校生活を謳歌していた。再び海外に行くとは思っていなかったが、父親の転勤でイギリスへ行くことに。
「夏にイギリスへ渡り、新学年が始まるまでの期間は英語の語学学校に通いました。1学年落としてアメリカンスクールの10年生に入りました」
翌年、弟が、日本の高校に進学するために母親と2人で帰国。父親は出張が多かったため、G・Nさんは学校の寮に入った。
「イラン人のルームメイトとは学年も違い、私もテニス部で忙しかったので、すれ違い生活でした。そんなこともあって、寮生活が合わないなと感じていました」
ドイツではIB校で学び、買い物も楽しむ
そんなとき、父親がドイツへ転勤することに。父親はドイツで単身赴任、G・Nさんは卒業までイギリスの寮で暮らして帰国、というのが両親の考えだったが、「私もドイツに行きたい!」と直談判したという。
「シュトゥットガルトのインターに通いました。IB認定校でイギリスのインターとは教育プログラムが違ったので、ここでも学年を落として編入しました。イギリスの学校では日本人の友だちが多くて助けてもらえた反面、英語力が伸びませんでした。でも、ドイツの学校では、同学年の日本人の子はドイツに10年以上住んでいてほぼネイティブでしたし、日本人が少なかったので、いろいろな国の子と仲良くなれました。合唱部が楽しくて、地元の人々の前で歌を披露することもありました。また、父と暮らしていたので、私が夕飯を作ることも多く、スーパーに行ったり、ドイツの日常生活を経験できたのが楽しかったです」
日本の働き方をよりよくしたい
卒業後、日本へ帰国。父親も直後に帰国し、何年かぶりに家族全員で暮らし始めた。ドイツにいた頃、夏休みに一時帰国して駿台国際教育センターに通った縁で、本帰国後すぐに同センターで大学の帰国生入試のための勉強を行った。
「海外大学への進学も考えましたが、学費が高いことと、私は日本が好きだから日本で大学生活を送りたいと思いました。駿台の小論文の授業では、最初はD評価ばかりでしたが、指導を受けて書き直したりしているうちに徐々に上達しました。英語もスラングではなく、きちんとした言葉や文法を学んだり。いろいろな国からの帰国生がいて楽しかったですね。同じ大学に通っている仲間もいます」
現在は一橋大学で経済学を学んでいる。コロナ禍で始まった大学生活はオンライン授業が中心だが、週1日程度は登校して対面の授業を受けられるようになったという(※)。
「経済に興味を持ったのは、イギリスの学校でのエコノミクスの授業が面白かったことと、イギリスとドイツで父をはじめ人々の働き方を見ていて『日本とは違うなあ』と感じたことでした。例えばドイツでは金曜の夜は定時退社でビールを飲みに行く習慣があり、日本の人より休んでいるように見えるのに、GDP(国内総生産)は世界4位です。それはなぜなんだろうと思って。将来は、日本でもワークライフバランスを保ちながらGDPを維持・向上することに貢献できたらいいなと思います」
海外滞在時の思い出写真
親への感謝
一番の感謝は、ドイツに行きたいというわがままを許してくれたことです。「経済に興味があるからユーロ圏も見てみたい」と親にプレゼンをしました(笑)。ドイツでは街の暮らしを経験できましたし、環境問題や多様性についても考える機会が得られました。