「『諦めないで』と背中を押してくれた先生、安心できる環境を作ってくれた家族に感謝しています」
渋谷教育学園 幕張高等学校 2年 I・Tさん(17歳)
※2019年11月インタビュー時点
渡航歴
時期 | 場所 | 学校 |
---|---|---|
5歳(Y2、12月)~7歳(Y3、3月) | イギリス・ロンドン | 現地幼稚園→現地小学校 |
7歳(小2、4月)~11歳(小5、3月) | 日本 | 公立小学校 |
11歳(G6、4月)~15歳(G10、3月) | オーストラリア・シドニー | 現地小学校→現地中学校 |
15歳(高1、4月)~ | 日本 | 私立高校 |
ロンドン、シドニーという2つの大都市の現地校で学ぶ
I・Tさんは小1と小2をイギリス・ロンドンで過ごした。
「ロンドンでは現地の小学校に通いました。日本人のほとんどいない環境で、最初は英語ができなかったので毎日の登校が嫌で嫌でしょうがなかったです。でも、そのうちみんなと同じぐらい英会話ができるようになって、友だちがどんどん増えていきました。でも、慣れた頃に突然、帰国が決まりました。とはいえその時は幼かったので、『ああ、そうなんだ』とわりとすんなり受け入れた記憶があります」
日本では公立小学校に3年間通い、今度は小5でオーストラリア・シドニーに渡った。
「中学受験に向けて必死に準備をしていた頃だったので、シドニー行きには戸惑いました。今まで頑張ってやってきた受験勉強は何だったんだと……。今にして思えば、当時の努力はその後の高校受験などにしっかりつながっていて、決して無駄ではありませんでした。でも、その時はなかなかそう思えませんでした」
自信になった先生の言葉悔しい思いをバネに努力
シドニーでも日本人のほとんどいない現地校に通った。小学校は公立、中学校は私立の女子校だった。
「英語の環境には3年間のブランクがあり、最初のうちは苦労の連続。それでも学校の勉強になんとかついていけたのは、日本で英語力を保つために通っていた塾のおかげでした。中学校はIB(国際バカロレア)認定校で、勉強する環境は整っていましたが、最初の年は成績が伸び悩みました。日本の学校では自分の意見を伝えることをあまり学びませんでしたが、オーストラリアでは議論や論文の力が重視されます。私の英語力は、聞き取りはできるけれど、伝えたいことをうまく表現できないレベルだったので、悔しい思いもずいぶんしました」
成績挽回のきっかけは、その次の年に出会った「英語」の教科の先生だった。
「親身に相談に乗ってくれて、励ましてくれました。『論理はしっかり立てられているから』と評価してくれて。すごく自信が持てるようになって、成績も上がっていきました」
皆の志が高く刺激がもらえる今の高校生活に満足
シドニーでの中学時代は、日本への帰国時期が予想できなかったため、現地の高校への進学準備と、日本での高校受験を見据えた塾通いを両立。結果的には高校受験のタイミングで帰国が決定し、第一志望だった渋谷教育学園幕張高等学校(以下、渋幕)に帰国生入試で合格した。
「渋幕は帰国生が多かったり、英語の取り出し授業でハイレベルなことが学べたり、少しシドニーの現地校に似た雰囲気でとても楽しいです」
好きな科目は「物理」と「化学」。高2になった今、進路は理系の国内大学に絞って受験勉強を続けている。
「渋幕でも先生方から刺激を受けています。たとえば授業では、習っている内容について、日常生活のどこに使われているのか、大学のどの研究分野に当たるのかを教えてくれるので、より興味が持てます。目標高く勉強している友だちにも影響を受けますね。進路は、以前は海外大学も志望していましたが、その理由は、ただ『海外に行きたい』という漠然としたもの。今は学びたい分野が具体的に固まっていて、生命科学に興味があります。そして、その分野の研究が進んでいる国内大学を志望するようになりました」
国をまたがる転校を何度も経験しながらも、都度、学力を伸ばし生活を楽しんできた。その背景にあったのは、良い刺激を与えてくれる先生や友だち、そして、安心して学べる環境を作ってくれた家族の存在だ。
「『道は必ずあるから大丈夫』。これは私が高校の受験勉強で悩んでいた時に親からかけてもらった言葉です。『たとえすべてに失敗しても大丈夫。その時は、次の場所を捜せばいい』と。これからも、失敗を恐れず頑張っていきたいですね」