「海外生活は長いけれどもともと”日本が好き”」
法政大学職員 Y・Sさん(25歳)
※2019年10月インタビュー時点
渡航歴
時期 | 場所 | 学校 |
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7歳(G2、9月)~9歳(G3、6月) | アメリカ・ミシガン州 | 現地小学校 |
9歳(小4、7月)~10歳(小4、3月) | 日本 | 私立小学校 |
10歳(小5、4月)~19歳(G14、3月) | 台湾・台中市 | 小・中:日本人学校、高:アメリカンスクール |
19歳(大1、4月)~20歳(大2、7月) | 日本 | 私立大学 |
20歳(大2、9月)~22歳(大3、6月) | アメリカ・カリフォルニア州 | 私立大学 |
22歳(大4、9月)~24歳(大6、3月) | 日本 | 日米の私立大学をダブルディグリーで卒業。その後、就職 |
アメリカと台湾という異なる環境に戸惑った日々
小2の春まで新潟県で過ごしたY・Sさんは牧師の父親がアメリカの大学院に留学することになり、家族でミシガン州に移り住んだ。
「日本人学校がない地域でしたので、いきなり現地校に入学することに。最初は言葉が通じず、学校で泣いたりもしましたが、半年も経つと英語に慣れ、友人もできて楽しく過ごせるようになりました。周りに日本人がほとんどいない環境が成長させてくれたのだと思っています」
しかし、アメリカに移って2年が経った頃。父親の仕事の関係で、今度は台湾の台中市に移住することになる。
「せっかく英語も話せるようになり、友人もできたのに、離れることになったのは辛かったです」
日本人学校に通うことでアイデンティティを保つ
Y・Sさんは台湾に行く前に一時帰国し、日本に数カ月間滞在したことで、日本語を少し取り戻した。
「台湾では私はアメリカンスクール(以下、アメスク)に通いたいと思っていましたが、日本人学校に入学することになりました。父が、このままだと私が日本語を忘れてしまい、帰国した時に苦労するのではないかと心配したことが主な理由です。また、台湾にいながらも、日本人としてのアイデンティティをしっかり持ち続けてほしいと思っていたようです。反抗期だったこともあり、台湾に移り住むこと、アメスクではなく日本人学校に通うことなど、環境が変わることに対して親に不満を持つこともありました。今となってはありがたく思っていますが…。実際、台湾に住み始めた時は戸惑いもありました。例えばアメリカの現地校では周りは白人ばかりでしたが、台湾の方々は同じアジア系なので見た目は似ています。それなのに言葉がまったく通じません。北京語は日本語よりもイントネーションが強く、相手が怒っているんじゃないかと感じたりもしました。『これからずっとここに住むのか…』と不安も感じていました」
Y・Sさんは日本人学校(中学)を卒業した後、高2に編入する形で現地のアメスクに進む。日本人学校で日本語に慣れていたため、今度は英語を取り戻すのが大変だったという。卒業後は、学校には日本人が少なくアメリカやカナダの大学に進むクラスメイトが多い中、日本の大学に進むことに決めた。
「日本を長く離れていたので、一度、帰国したいと考え、日本の大学を志望しました。台湾に住み始めた当初は大変なところに来てしまったと思いましたが、卒業する頃には多くの友人ができ、大好きになっていました。入学月の都合で卒業してから日本の大学入学までに半年間の余裕があったので、会いたい人に会い、悔いを残さない形で台湾を離れられました」
帰国して感じた母国のありがたみ
帰国生入試で入学した日本の大学では、英語力と国際感覚を活かしつつ学び進めるために、日本と海外の2つの大学の学位を得られるダブルディグリープログラムを利用した。
「日本で1年半通った後、アメリカで2年間学び、再び日本に戻って1年半を過ごし、両方の大学を卒業しました。両大学では、文化人類学や国際関係学を学びました」
Y・Sさんは海外生活が長かったものの、もともと日本が好きなタイプ。大学卒業後、海外に出ることも考えたが、まずは日本に根を張って生きてみることを選んだ。
「海外にいた頃は『日本人だ』という意識が強かったのですが、思っていた以上に海外生活の影響を受けていたようです。日本の友人たちはみんな柔らかい話し方なのですが、私は思ったことをストレートに言ってしまう。そこに少しギャップを感じました。しかし、母国で母語を話せる環境はものすごく安心感があります。初めて行く場所で緊張することもありませんし、色々な手続きもスムーズです。やっぱり母国っていいものですね」
今は法政大学の職員として留学生のサポートをしている。
「日本に初めてくる学生のためにガイダンスを行うなど、自らの海外経験を生かした取り組みもさせていただいています。今後も色々なバックグラウンドを持つ学生に寄り添えるような仕事をしていきたいです」
海外滞在時の思い出写真
台湾のアメリカンスクールを卒業する前、一緒に頑張ったクワイアの仲間たちと撮ったショット
帰国後の学校への入学方法
受験方法 | 帰国生入試 |
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選考方法 | 小論文、面接 |
受験勉強開始期間 | 高4 |
親がしてくれたことで感謝すること
海外での生活は私自身も大変でしたが、子どもたちを養う親はもっと大変だったと思います。ずっと親に守ってもらっていたことを今になって実感しますし、日本人としてのアイデンティティを保つために日本人学校へ行かせてくれたことも感謝しています。