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先輩からのメッセージ 帰国体験記|聖園女学院中学校1年生  A・Aさん(13歳)


自分で服を作りたい
そして、海外で仕事をする人になりたいです

聖園女学院中学校 1年生  A・Aさん(13歳)

※2024年6月の取材時

渡航歴

日本 0歳~4歳、未就学
ブラジル・サンパウロ 4歳~12歳(小6・3月)、現地幼稚園→日系ブラジル幼稚園→日本人学校
日本 13歳(中1・4月)、私立中

ブラジルに行った頃は泣いてばかりいたけれど…

約2カ月前、日本に帰国したばかりの秋元さんは、4歳から12歳までの8年間をブラジルのサンパウロで過ごした。サンパウロで暮らし始めた当初は、環境にまったく馴染めなかったという。

「最初は現地の幼稚園に入園したのですが、ポルトガル語がわからなくて、ずっと泣いていました。1カ月ほど経ってもどうしても合わなかったので、日系ブラジル幼稚園に移りました」

新しく通い始めた幼稚園では日本語を話せる先生もおり、現地の子どもたちと一緒に多様な文化に触れながら楽しく過ごせたという。

「小学校は日本人学校に進みましたが、ポルトガル語の授業があったので、今もヒアリングはだいたい理解できて、スピーキングも日常会話ぐらいはできます。2年生からの約2年間はコロナの影響でほぼ自宅学習で、オンライン授業を受ける日々だったのですが、オンライン授業になって4カ月経った頃、学校以外のスポーツクラブで友だちと週1回会えるようになったことが嬉しかったです」

日頃の暮らしでは、現地の人々の陽気さやエネルギッシュな行動に驚かされたことも。

「サッカーが大好きな人々なので、大きな試合がある日は大変。町中が大騒ぎで、『うわー!』という大声が隣の建物から聞こえてきたり(笑)。それから、滞在中に大統領選挙があったのですが、そのときは『大人が一緒でも、今日は家から出ちゃ駄目だよ』と先生から言われました。暴動が起きることもあるそうです」

自然が豊かだったブラジルに似た環境の学校を選択

年に2~3回は家族と南米旅行も楽しんだ。

年に2~3回は家族と南米旅行も楽しんだ。「サンパウロから車で1時間ほど移動すると、海や森などの自然がいっぱいです。ちょっと遠出をしてアマゾン川を訪れたときはピラニア釣りをしましたし、ピンクイルカを触りに行くツアーにも参加しました。怖くて触れなかったけれど(笑)」

家族全員で訪れた、世界で1、2の透明度を誇る清流ボニートにて。シュノーケリングを楽しんだ。

現地での生活を楽しみ、友人もたくさんできて、ブラジルでの生活を満喫していたAさん。しかし、5年生の12月に、「6年生で卒業したら日本に帰ることになるよ」と、両親に告げられる。

「ブラジルを離れるのはとても寂しかったです。でも、日本で新たに頑張ろうと気持ちを切り替えました。そして、進学先についてインターネットで情報を集めたり、受験勉強を始めたんです」

週に3、4回のペースで、日本にいる講師から、オンライン塾で国語と算数を受講した。勉強も大変だったが、特に時差に苦労したという。

「算数は、日本時間で朝8時ぐらいから教わっていたので、ブラジルでは夜の8時。眠かったです(笑)。受験先を今の学校にした理由は、自然が豊かで、ブラジルで通っていた学校に雰囲気が似ているから。6年生の夏頃に一時帰国して学校を見学したとき、案内してくださった先生が優しくて、手芸部があることも決め手でした。手先が器用な母に刺繍を教えてもらったりして、手芸がもともと好きなんです」

幼稚園の頃からそろばんを習い、全伯大会の複数級での優勝経験も。

今は部活動を決める時期だが、手芸部のほかに、科学部や聖歌隊・ハンドベルクワイアにも興味がわいている。活動が兼ねられる場合もあり、目下検討中だ。

現地の人の影響で積極的に!英語を話せる人になりたい

日本での生活をスタートさせてからの感想は?

「ブラジルより、食べ物が美味しい(笑)。そして当然ですが、周りが日本語なので生活しやすいです。でも最初は、自分ひとりで電車を乗り継いで登校することが不安で、私が先頭で歩いて母は後ろから見守る、という練習をしました。学校では、友だちを作ることができて楽しいです。ブラジルの人たちは自分をアピールするのが上手なので、私も日本に帰ってきて、人に積極的に話しかけることができました」

左/帰国後ブラジル時代の友だちと宇宙科学館へ(一緒に写っているのは弟さん)。右/今春の入学式、満開の桜の下で。

今後も、様々なことに挑戦したい。将来の夢は服のデザイナーになることだ。

「ブラジルなどの海外と日本のファッションをうまくミックスした服をデザインして、それを海外で販売できる人になりたい。そして、父のように外国語を使いながら海外で仕事をしてみたいです」

親への感謝

ブラジルで生活を始めた頃に泣いている私を励まして、ポルトガル語を教えてくれたこと。それから、5年生の終わり頃に受験勉強を始めたので、勉強を急がないといけなかったのですが、そのときもオンライン塾の補足として両親が勉強を教えてくれたことに感謝しています。いろいろと大変そうだったのに、ありがたかったです。

取材・文/本誌編集部、田中亜希