最初は嫌でたまらなかったけれど今は帰国も意味があったと思える。間違いなく自分を成長させてくれた時間だから
国際基督教大学(ICU)高等学校 3年生 S・Yさん(17歳)
※2023年11月の取材時
渡航歴
オーストリア | 生まれ~1歳 |
イタリア・カラブリア | 1歳~4歳、現地園 |
イタリア・ミラノ | 4歳(G1)~15歳(G10・3月)、インターナショナルスクール |
日本 | 15歳(高1・4月)~現在、私立校 |
快適なミラノ生活から一転
突如、日本行きを親が提案
日本人の両親のもと、オーストリアで生まれ、幼少期からイタリア(主にミラノ)で育ったS・Yさん。15歳で帰国し、現在のICU高校に入学した経緯を聞くと、思いがけない答えが返ってきた。
「それでも、不思議と日本人「正直、嫌で嫌でたまらなかったんです……」
きっかけは、入学からさかのぼること1年ほど前、親からの突然の宣告だったという。
「親から『そろそろ日本の教育を受けて、日本で働いて欲しい。それを考えると日本の高校に行かせたい』と言われました。イタリアでの生活は楽しいし快適だし、毎日のように嫌だと言い続けたのですが、最終的に父から『東京の私立高か祖父母のいる大阪の私立高か、どちらかを受けるように』と言われてしまって。さらに、『もしわざと適当に受けて2つとも落ちた場合は、日本の公立高に行くように』と言われたんです。それで、なんとなく東京かなぁと思って……」
文化も人も異なる環境で
戸惑いを覚える日々
ミラノのインターナショナルスクールでの成績はほぼ満点だったため、ICU高校の帰国生入試は難なくクリア。嫌々の帰国とはいえ、帰国生も数多くいて自由な校風で知られる超人気校・ICU高校での生活は順風満帆かと思いきや、当初は苦悩ばかりだったという。小4で数カ月だけ、名古屋の公立小学校に体験入学したこともあるが、そのときの経験も特に活きることはなかったそう。
「高1は……とにかくつらかったですね。日本語で進められる授業が多かったので、日本語に慣れていなかった僕には内容を理解するのもひと苦労。さらに、ミラノで通っていたインターナショナルスクールはIB(国際バカロレア)校だったので、そことの学び方の違いにも戸惑いました」
また、人生のほとんどをミラノで暮らしてきたゆえに、人間関係の変化に戸惑うこともあった。
「ミラノでの友だちは、4歳ごろから10年以上を一緒に育ってきて、裸の付き合いというか、素の自分でいられるしお互い正直でいられます。でも日本に来て間もない期間でできた友人には、接するときにどこか抑制してしまう自分もいて……。それと今の高校には帰国生もとても多いのですが、自分はその帰国生という感覚とも少し違って、異国人というか、どこか感覚が違うな、という違和感を覚える日々でもありました」
つらいトンネルが長かったぶん
ジャンプする力も大きい
好転の兆しが見え始めたのは、高2になってからだとか。
「2年生になって授業の多くが選択制になり、英語が主体の授業を多く取れるようになって、まずは学びという面で自分にとって格段によくなったように感じます」
フランクに話せる先生や、同じような感覚を持つ先輩たちとの出会いにも恵まれた。
「選択授業で出会った数学の先生は、教えることに熱意を感じたし、仕事として生徒に接するという感じではなく本音で生徒に向き合ってくれて、僕とも本当に気が合う。すごく救われた気がしました。あとは、自分と同じような感覚を持つ先輩たちとも出会うことができて、共感できたり深く付き合えるようになったりしたことも、自分にとって大きな変化でした」
そうして高1のときにはあまり芳しくなかった成績も、高2の3学期にはトップスコアを叩き出すほどに劇的にアップ。必死に覚えるだけではなく、覚えて活用するという持ち前の学習センスも授業で出せるようになった。
将来のことはまだわからない
でも多くの経験をしたい
「日本に来た頃よりは日本語で話せるし読み書きもできますが、自分が一番自分らしくいられるのは、やっぱり英語なんです。ですから大学は、英語圏のイギリスに行きたいと思っています」
数年間、日本で過ごす中で導き出したこの答えを両親も尊重。現在はイギリス・ロンドンの大学を一緒に探してくれているという。どんな勉強をしたいのか、将来について聞いてみると「それはまだわからない」と、素直にはにかむ。
「はっきり言えるのは、いろいろな国へ行って自分の目で見たいということ。たとえ1000年、生きたとしても世界のすべてを見ることはできないのだから、生きている間に動ける限りにおいては、できるだけ多くの経験をしたいと思っています」
親への感謝
日本での生活は順風満帆とは言えなかったけれど、もしあのままミラノで生活していたら、ぶつかりようのなかった壁を経験できました。つらい時間もあったけれど、自分の内面と深く向き合えたこは、間違いなく人生の糧になっていると思います。だから、日本行きを提案してくれた両親には、今となっては感謝しています。
取材・文/本誌編集部、小野眞由子