小2で飛び込んだインドネシア。何事も「楽しもう!」の気持ちで乗り越える
広尾学園小石川中学校 3年生 E・Mさん(14歳)
※2023年5月インタビュー当時
渡航歴
時期 | 場所 | 学校 |
---|---|---|
7歳(G2・8月)~11歳(G5・4月) | インドネシア | インターナショナルスクール |
11歳(小5・4月)~ | 日本 | 公立小学校→私立中学校 |
自信の目でしっかりと世界を見て学ぶ
E・Mさんは小学2年生でインドネシアに渡航。英語を学んだ経験もない状態で、いきなり海外での生活に飛び込むことになった。現地では、インターナショナルスクールで学んだ。
「タイ、ドイツ、アメリカなど、色々な国から来た子たちが通う環境で、英語が共通言語。最初は言っていることが分からなくてつらいときもあったり、本当に大変でしたが、1年後にはすっかり楽しくなっていました。学年が上がるにつれて、『学んだことが身に付いてきたな』と自分で実感できたことが大きかったです。それと、慣れない環境でも『とにかく楽しもう』という気持ちでいたこともなじめた理由だと思います」
インドネシアでは、日本では経験できない様々な体験を通して成長した。特に、インターナショナルスクールならではの活動やカリキュラムから影響を受けた。中でもボランティア活動は得難い体験だったという。
「貧困地域の子どもたちが通う学校を訪問し、フルーツを届けていました。この経験のおかげで、日本ではあまり意識することのなかった貧富の差について考えました。小学5年生という年齢で、身をもって体験できたことに意義があったと思います。また、児童それぞれが出身国の食事を作ったり、ダンスを披露したりと、インターナショナルスクールならではのイベントが多かったことも、『世界には色んな国があるんだな』と感じられるきっかけになりました」
なつかしい地元の小学校で友だちと再会
充実した日々を送っていたが、インドネシアに渡って約1年後、コロナ禍に突入。突然、日本に帰ることが決まった。小学5年生だったため、そのままインドネシアに行くまで通っていた地元の公立小学校に復学するかたちとなった。
「突然のことで帰国する心構えができていませんでした。現地の友人と離れるのはとてもさみしかったですが、復学するのが以前通っていた地元の小学校だったのでほとんど不安はなく、むしろ、なつかしい友だちに会えるというワクワクした気持ちもありました。再会にしたときはみんなで『久しぶり!』と盛り上がりました」
夢をかなえるべく、帰国後も英語と演劇、美術を続ける日々
現在通う広尾学園小石川中学校・高等学校は、「せっかく現地で身に付けた英語を日本でも学び続けるために良い環境はどこか」と両親と一緒に探す中で発見。帰国後すぐに英語塾に通って英語のエッセイなどを何度も書き直しながら帰国生受験の準備に励み、見事合格した。所属しているインターナショナルコースは、英語で行われる授業と日本語の授業が混在する環境で、両言語をフレキシブルに使い分け、現地で培った英語力を維持・伸長させている。
「インターナショナルコースというだけあって英語のレベルはとても高いです。ですので、常に平均点以上を取り続けることを意識して頑張っています。国語と副科目以外はほとんど英語での授業なので、これまで身につけた英語力をさらに磨くことができています。先生方もいろいろな国籍の人が多くて、インドネシアで通っていたインターナショナルスクールの環境に似ています。友だちと話す時は英語と日本語、英語圏出身の先生とは英語というように、場面や相手に合わせて言葉をどんどん切り替えて会話するのが楽しいです」
将来の夢は海外で劇などのエンターテインメントやそれらにまつわるデザインに関する仕事をすること。そのため、附属の広尾小石川高等学校を卒業した後は海外の大学に行き、本場のエンターテインメントを学びたいと思っている。
「きっかけはインターナショナルスクールでの授業。ダンス、演劇、美術といった芸術系のカリキュラムがとても充実していたんです。今の学校でも部活は演劇部と美術部。演劇部では音響や照明を学び、雰囲気作りの勉強をしています。演者としてもいろいろなことを学びたいし、裏方の仕事についても興味があります。去年の学園祭では、演劇部での活動のほか、美術部で校舎に大きく掲げるメインのバナーも作りました」
親への感謝
まだ幼く、中学受験について何も意識していなかった私に、様々な選択肢を見せてくれました。学校を一つひとつ調べ、そのための準備、塾探しなどを進めてくれたことに感謝しています。しっかりと
英語を学ぶための道筋を作ってくれて、世界を広げてくれました。学校行事には忙しくてもいつも参加して応援してくれる、そんな優しい両親です。