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先輩からのメッセージ 帰国体験記|青陵中学校 1年生  M・Mさん(13歳)

青陵中学校 1年生 M・Mさん(13歳)

※2022年10月インタビュー当時

渡航歴

時期 場所 学校
8歳(G3・4月)~15歳(G7・3月) アメリカ・テキサス州 現地校
12(中1・4月)~ 日本 私立中学校

どんどん楽しくなっていったアメリカ暮らし

M ・Mさんが家族とともにアメリカ・テキサス州で暮らし始めたのは小3のとき。当初はほとんど英語が理解できず、通い始めた現地校では苦労することも多かったという。

「英語力があまり関係のない算数以外は本当に大変でした。授業中はタブレットPCの翻訳アプリをよく使っていたのですが、先生が言ったことを聞き逃してしまい、授業の内容がわからないこともた
くさんありました」

学校から家に帰ると、意味がわからなかった英単語を辞書で調べて復習するという毎日を必死で続けた。そして、半年ほど経つと、先生が話していることがその場で理解できるようになっていた。
アメリカでの一番の思い出は、吹奏楽のバンドで学校のフットボールチームの試合の応援に行ったことだ。M ・Mさんはトロンボーンを担当。クリスマスには学校の近所を練り歩き、演奏を披露した。

「アメリカでの生活がどんどん楽しくなってきて…もともと日本の中学入学に合わせて日本に帰国するつもりで塾などにも通っていたのですが、帰国の日が近づくにつれ、友だちと離れたくない、もっとアメリカにいたいという気持ちが強くなっていきました」

現地校の吹奏楽バンドで、フットボールチームのホームカミングで応援演奏した時の1枚。

そこで、自ら両親に頼みこんでアメリカでの生活を半年間ほど延長してもらい、現地校に行きつつ中学を受験。合格後、入学する1カ月前までアメリカで過ごした。

英語が飛び交うクラスで、海外体験を語り合う

現在通う私立の中高一貫校である青稜中学校は、日本の小6にあたる夏に一時帰国した時に複数の学校を見学した中のひとつ。志望した決め手は、アメリカで身に付けた英語力を維持できる教育を行っていることと、SNSを通して興味をもち独学で始めていたダンスに関連した部活動があること。帰国生入試で合格し、半年ほど前から4年ぶりの日本での学校生活をスタートさせた。

「4年間のアメリカ生活で日本語を少し忘れかけ、帰国直後は敬語の使い方もよくわからなくて、戸惑うこともありました。でも、友だちをつくるのは英語より日本語のほうがずっと楽で、入学式当日から親友ができました。入部したダンス部の先輩たちとも仲良くなり、ダンスを基礎から教えてもらっています」

青陵中で所属しているダンス部の夏合宿にて。ヒップホップやR&Bでよく踊るそう(前方右)。

学校の授業でグループワークを行うときは、M ・Mさんはグループをまとめるリーダー役になることが多いという。

「アメリカでは授業のほとんどがグループワークだったので、自然に人をまとめる力が身に付いたのかなと感じます。他のグループをみても、帰国生がリーダーになっていることが多いようです」

青稜中学校では、英語の授業を習熟度別に行っており、M ・Mさんは帰国生中心の上級クラスに所属している。

「授業中はずっと英語が飛び交っていて、アメリカの学校を思い出すこともあります。イギリスやシンガポール、タイなど様々な国からの帰国生がいて、いろいろな国の情報をきくことができ、私自身もアメリカの魅力などを話せるので、とても楽しいです」

帰国生ではないクラスメイトからは、「英語を教えてほしい」と頼まれることもあり、頼られることにやりがいも感じているそう。

SDGs部にも所属。夏休みには神奈川県の逗子海岸で清掃活動を行った(前方左から2番目)。

夢は文化を超えたファッションを提案すること

将来の夢は、ファッションコーディネーターになること。帰国後、日米のファッションの違いに驚いたことがきっかけだ。

「日本人のファッションは清楚なイメージですが、アメリカ人は色も形もスタイルも派手。また、住んでいた地域には独特な色とデザインを好むインド系の人が多かったので、国によるファッションの違いを感覚的にたくさん知ることができたと思います。将来はそうした知識や感覚を活かして、いろんな国のファッションをうまくミックスしたファッションを提案してみたいです」

親への感謝

アメリカにいた時も帰国後も、学習面や友人関係で困っていた時には、自分の時間を削ってまでして、私を助けてくれました。海外で生活するという貴重な経験をさせてくれたこと、そして私が選んだ道を応援してくれたことに、心から感謝しています。ありがとう。