有名雑誌などのモデル、四男一女のシングルマザー、看護学校生と多彩な一面を覗かせる敦子さんに、人生で「大切にしていること」をお聞きする今インタビュー。前回の「家族」編に続き、「夢」に向かって頑張る姿をお届けします。
夢をもち続けたい
モデルであり、シングルマザーとして四男一女のお子さんたちを育てる母であり、さらに「助産師になる」という夢に向かって看護学校にも通っている敦子さん。助産師の職に興味を抱いたのは10年前。国際協力NGOのジョイセフ(※1)で、発展途上国で妊産婦支援の活動に関わったことがきっかけだった。
「ジョイセフでの様々な活動を通して、世界には、自分の命と引き換えに新しい命を産み落とそうとする女性がいることを知りました。このことにショックを受けましたし、そういう事実を知らなかった自分に恥ずかしさを覚えました。その後、実際にタンザニアの産院の視察にも同行させていただいて、命の大切さと、子どもの存在の尊さを再認識したことから、自分自身が助産師になれないだろうかと考えるようになったんです」
もともと赤ちゃんが大好きということもあり、挑戦してみようと意欲が湧いた。そして、身近に相談相手がたくさんいることも功を奏した。学生時代の同級生に、30代になってから看護師に転職した友人が複数名いたのだ。
「たとえば、離婚してふたりの子どもを育てながら看護学校に入学して、看護師になった友だちがいます。そういう風に、新しい世界に臆せずに飛び込んでいく友人が多いんです。彼女たちから刺激を受けたり、相談に乗ってもらわなかったら、助産師を目指すことはできなかったかもしれません」
高1、中1、小5(双子)に続く5人目の末っ子は、この春小学校に入学した。育児にだいぶ手がかからなくなったため、これからは自分のやりたいことにも力を注いでいきたいという。
「私は5人の子どもの母親ですが、どういう立場にいても、自分に目標があればとことん取り組みたいです。そのなかで大変なことがある場合は、試行錯誤しながら自分なりのやり方を作っていけばいい。そういう姿を子どもたちには見せたいと思っています。大人になってからも夢をもっていいことを伝えたいです」
現在(※2)は、看護学校の2年生。日々のスケジュールは多忙を極め、朝は5時半に起床する。そして、まずは朝食と子どもふたり分のお弁当を作り、高校生と中学生を送り出すと、小学生の子どもたちと朝食を取る。その後は、病院で実習に励むという毎日だ。看護学校1年目のときは、午前中はモデルの仕事を行い、午後は学校で授業を受けていた。
「夕方以降は、スーパーで買い物をして夕飯を作ります。いつも時間がなくてバタバタしていますが、学校では自分の知らないことをたくさん教わるので視野が広がりますし、どんなに大変でも有意義です。クラスメイトは18歳や19歳の若い人たちもたくさんいて、我が家に泊まりに来てくれることもあるんですよ。一緒にお酒を飲んだり、高校生の長男の話し相手になってくれたり。楽しくやっています」
子どもたちに感謝
看護学生としての生活は刺激が多く充実しているが、毎日ハードな日々を送っていると、つい休みたくなることもあるという。同時に、子どもたちの気持ちがわかるようになってきた。
「連休明けや月曜日は、もう少し寝ていたいな、今日はサボりたいな……と思うことがあります(笑)。ですから、子どもたちの『今日は休みたい』という声に耳を傾けるようになりましたね。たとえば、熱は高くなくてそれほど具合が悪そうではないのに、『おなかがちょっと痛い』と言われたときでも寛容に受け止めています。子どもの長い一生を考えれば、1日休むぐらい大したことないですから」
寛容さが増した子育ての中でも、唯一気がかりなことがある。それは、子どもの学校行事になかなか足を運べないことだ。
「平日の授業参観にはほとんど行けないので、申し訳なく思っています。時々自分の学校を休んで行くこともあるのですが、そうすると子どもたちが心配してくれるんです。『ママ休んで大丈夫なの?』と(笑)。私が忙しくしていると、それぞれに思いやりや自立心が生まれるので、嬉しいですね。食事のあとの食器洗いは、自分の使った分は自分で洗うなど協力し合っています」
どうしても疲れているときは、そのまま口にすることもある。
「『今日はイライラしているから、お願い。手伝ってね』と事前に宣言するんです。そうすると、全員の間に『やばいぞ、みんな気をつけろ』という空気が漂います(笑)」
この夏には、助産師養成学校に進学するための受験に挑む。そこで1年間勉強を積み、助産師の国家試験に合格すれば、晴れて助産師の仕事を始められるという。
「将来は助産師として活動しながら、世のお母さんと赤ちゃんの未来が楽しくなるような社会づくりを発信していきたいです。赤ちゃんって無条件で可愛いですよね。日本で育児をしていると、ベビーカーで電車に乗りづらいなど、肩身の狭い思いもたくさんすると思います。でも、それ以上に子どもを通じて得られるものは大きい。私自身は、子どもたちのおかげで成長できたと思っていますから。感謝しています」
お母さんが幸せであれば、子どもも幸せ。そういう風に、両方がハッピーになれるような世の中を作っていきたいと話す。
「子どもたちそれぞれが小さいときは手がかかって大変なこともたくさんありました。でも、なるべくいつも明るく、前向きに過ごしていたいというのをモットーにして過ごしてきました。将来的には、子どもたちに『ママはすごく楽しそうだったよね』と思ってもらえたらとても嬉しい。それが、私にとっての幸せです」
※1…Japanese Organization for International Cooperation in Family Planning (JOICFP)。世界の妊産婦と女性の命と健康を守るために活動している国際協力を中心とした公益法人
※2…2019年11月にインタビュー
モデル 敦子さん
あつこ・1978年7月17日、奈良県生まれ。雑誌『VERY』で表紙モデルを務めるなど、モデルとして活躍。CHEMISTRYの堂珍嘉邦さんと結婚後、四男一女を出産。2017年には看護学校に入学。現在は助産師を目指し、モデル、学生、シングルマザーとして奮闘中。
取材・文/『帰国便利帳』編集部、田中亜希 撮影/田子芙蓉
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