森崎ウィン インタビュー|〜国境を越えて夢を紡ぐ〜

映画やテレビドラマ、ミュージカルへの出演とともに、歌手や映画監督としても活躍中の森崎ウィンさんは、ミャンマー出身。10歳で日本での生活をスタートさせた頃は、言語の壁に悩まされ、不安を抱くことが多かったとか。
しかし、故郷以外の国で様々な経験を重ねたからこそ、自分の引き出しは増えたと話します。
スティーヴン・スピルバーグ監督のハリウッド映画『レディ・プレイヤー1』で大役を務めた際の、イギリスでの撮影エピソードなどをもとに、「異国に身を置くと“強み”は確実に得られる」と、力強く伝えてくださいました。
故郷以外の国を知ると自分の引き出しが増える
それは強みです!
10歳で日本の公立小へ。日本語がまるでわからず、しんどいことも
――森崎さんはミャンマーのご出身で、10歳の頃に日本に移り住むまでは、おばあ様と暮らしていらしたとお聞きしました。
森崎ウィンさん(以下、森崎) そうです。僕が産まれると両親は日本に出稼ぎに行ったので、僕は赤ちゃんの頃からミャンマーで母方の祖母に育てられました。おばあちゃんは自宅で英語塾を開いていて、洋楽を聴いたり歌を歌ったり、踊ることも大好きなファンキーな人です。そして、強い信念と行動力をもち合わせていて、周りに人が自然と集まってくるタイプ。僕には「周りにしっかり感謝を」という言葉をよく伝えてくれました。
――森崎さん自身が日本に移り住んだきっかけは?
森崎 僕が小学4年生のときに、9歳年下の弟が産まれるタイミングで、母がミャンマーで里帰り出産をしたんです。そのときに、母から「これからは家族4人で日本に住もう」と話があって。祖母がいるミャンマーを離れて、両親と僕、弟で日本に行くほうが「あなたの未来のためになる」と説得されました。僕はミャンマーにずっといたかったので日本に行くのは嫌でしたが、おばあちゃんからは「行ったら楽しいよ」と背中を押されて……。初めは仕方なくという感じで日本に来たんです。
――日本の暮らしにはすぐ馴染めたのでしょうか。
森崎 最初の1年間はまったく慣れませんでした。だって、日本語がまったくわからないのに、インターナショナルスクールでもなく、普通の公立小に入ったんですから。国語の時間だけは別室で日本語を教えてもらえましたが、それ以外の授業には全然ついていけませんでした。それから、今の日本みたいに外国の人がたくさん住んでいる環境ではなかったので、学校では珍しがられていじめのようなことも受けたんです。でも、物事から逃げたくない性格なので、普通に登校はしていました。……学校が楽しくないことは、忙しく働いていた両親には言えなかったですね。日本でのスタートはしんどかったです。
――それは本当に大変でしたね。その時期をどのように乗り越えたのでしょうか。
森崎 ミャンマーでサッカーをやっていたので、学校の先生から放課後のサッカークラブに入ることを勧められたんです。そうしたら、スポーツが言葉や文化の壁を全部取っ払ってくれて。僕をよく思っていなかった同学年の子とサッカーを通してどんどん仲良くなれてラッキーでした。

スピルバーグ監督の映画の大役で人生が180度激変!
――中学2年生の時に、現在所属なさっている事務所からスカウトされて、芸能活動を始められます。その頃の心境を教えてください。
森崎 芸能人になりたいとは全然思っていなかったのですが、事務所が幸い大きな会社なので信頼が置けますし、父や母は「無料でお芝居やダンスのレッスンを受けられるなら、いいんじゃない?」と(笑)。習い事感覚で始めて、高2のときにドラマのオーディションにようやく受かってテレビに出始めました。そうしたら周りにワーキャー言われるようになって調子に乗っていたんですけど、その後パタリと仕事がこなくなって、バイトをしながらオーディションに落ちまくる日々に。日の目を見たのは、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』の出演が決まって、公開された28歳のときでした。
――スピルバーグ監督の映画の大役に抜擢されて、さぞ驚かれたのでは。
森崎 もう、大変でした。最初は「某ハリウッド映画」としか聞いていなくて、ビデオオーディションを通過後にアメリカで行われる二次審査に向かったのですが、監督がスピルバーグだということは、この審査直前に知らされたんです。それで会場に行ったら本人が実際にいるから、「ヤバ!」と(笑)。緊張しすぎて、そのあとのことは断片的にしか覚えていないです。
自分はダメだ……と認めたら諦めがつく
あとは上昇するのみ!
――大役を手にしてハリウッド映画に出演する経験は、刺激に満ちていたでしょうね。
森崎 人生が180度変わりました。撮影地のイギリスで、マネージャーとも離れて4ヵ月ひとりで生活しながら撮影に臨んで……、でも最初は苦労が多かったです。英語は少し話せるものの、ネイティブレベルでは全然なかったですし。自分はプライドが少し高いからか、色々わからないことを周りに気軽に聞けませんでした。それで初めの1カ月でうつ状態みたいになってしまって……。
――演技についての悩みが多かったのでしょうか?
森崎 いえ、多くは洗濯のことやロケバスの運行時間といった日常の些細なことでした。でも、そこまで落ちるとあとは上がるだけ。悩みつくした結果、ある日、「俺はもうダメだ」と、その場で何もできない自分を受け入れるようになったんです。吹っ切れたあとは、普段の小さな困りごとを交渉できるようになりました。「スタジオに洗濯物を預けると縮んで帰ってくるので困っている」とか、「このバスに乗ってくれと言われているけど、あのバスでも大丈夫じゃない?僕はあれに乗りたいけどダメかな?」とかね。そんなふうに行動していると、周りの反応も変わってきて、精神的に対等な関係性で過ごせるように。相手のペースに合わせて必要以上にペコペコするのではなく、「自分もいい俳優としてここに呼ばれているんだ」という気持ちをもって堂々とすることで、楽しく撮影に挑むことができました。

美味しいご飯を食べられるのは自分に仕事をくれる人がいるから
――ハリウッド映画の出演経験を経て、ご自身が一番変わったと思う点を教えてください。
森崎 世界から見たら、自分なんかアリンコの足ぐらいだと、自分の小ささがわかりました。そのうえ で、「もっと頑張らないと」と心底感じられたのは成長できた面だと思います。そういえば、撮影を終えて日本に帰ってきたとき、腰がとても低くなっていたみたいで、周りからは「何があったの?」と驚かれました(笑)。それにしても、『レディ・プレイヤー1』の公開以降、仕事の依頼をいただくようになって、それがまた次につながっ て…。こうやって活動できているのは奇跡のようです。
――今のご活躍を、ご家族も喜んでいらっしゃるでしょうね。
森崎 はい。「バイトをしなくても食べられるようになったね」と言ってくれています(笑)。母は、僕が幼い頃からこう話していました。「美味しいご飯を食べられるのは、自分に仕事をくれる人がいるから。そして、仕事をする姿を見てくれている人がいるから」と。それから、「ありがとうと言われて嫌な気持ちになる人はいないから、ありがとうと言えることを見つけなさい」「ごめんなさいを言うタイミングは、ほんの少しずれるだけで大きな傷を生む。だから、そのタイミングは間違えないように」とも。これらの言葉は、大人になって様々な経験をするなかで、心から理解できるようになりました。
海外での経験はかならず身になる
だから安心して
時間は全員に平等。有効活用して故郷に恩を返せる自分になりたい
――ミャンマーから日本にいらして25年。故郷以外の国で生活し、仕事を続けてきたことで得られた、発見や学びを教えてください。
森崎 まず、自分が親にいかに守られてきたのかということを改めて実感しています。外国で仕事をするためにはビザが必要で、その手続きには様々なプロセスを踏まなくてはいけません。そのあたりの負担を抑えるために、僕が幼いうちに日本に連れてくることを両親は決意したのだと思います。10歳で日本に来るときは嫌でしたが、今となっては感謝しかないです。なぜなら、故郷と日本の両方の環境を知ることで、違う角度から物事を見られるのですから。今、海外に住んでいる日本人の親御さんとお子さんのなかには、つらい思いを味わっている人もいると思います。僕もそうだったからその気持ちはとてもわかる。だから、頑張れとは言わないけれど、「おもしろくなるから安心して」と言いたいです。今の経験は自分の引き出しを増やしてくれるはず。それが強みになることは間違いありません。
――森崎さんの、今後の活動の目標をお聞かせください。
森崎 故郷のミャンマーに恩返しをしたい気持ちを常にもっているので、何かしらの形で貢献できるように努力を続けたいです。ミャンマーのかたから、「ウィンくんの活躍は私たちの励みだよ」と言っていただくことがあります。自分が目標や夢を叶える姿が誰かの力になっているなんて、幸せでしかありません。時間は全員に平等なので、これからはその時間をさらに有効活用して、自分自身を高めていきたいです。
好きな言葉は?
有言実行
嫌いな言葉は?
なし!
どんなときにウキウキする?
遠出するとき
どんなときにげんなりする?
宿題が多いとき
好きな食べ物は?
焼肉
嫌いな食べ物は?
カボチャ
朝起きていつもすることは?
カーテンを開けて朝日を浴びる
寝る前にいつもすることは?
カーテンを閉める
マイブームは?
自宅のデスク周りの構築
生まれ変わったら何になりたい?
自分!

プロフィール

森崎ウィン
1990年8月20日生まれ。ミャンマー・ヤンゴン出身。10歳から日本で生活を送り、14歳のときにスカウトをきっかけに芸能界入り。スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「レディ・プレイヤー1」(2018年公開)で大役を務め、脚光を浴びる。以降、映画やテレビドラマ、ミュージカルのみならず、歌手や映画監督としても活躍。今年10月には、Snow Manの向井康二氏とダブル主演を務める映画『(LOVE SONG)』が公開される。