帰国体験記1|土浦日本大学高等学校 1年生 Nさん

自分で決意した単身帰国、両親には感謝しかありません

「日本っぽいことに憧れていました(笑)」

Nさんは、現在、寮生活を送りながら土浦日本大学高等学校に通っている。高校に入学するまでは、両親、兄、弟とオーストラリア・アデレードで生活を送っていたが、中3の夏に一大決心。「小学校高学年の頃から憧れていた」という日本の学校に入学するため、単身での帰国を決めた。

「幼少期から引っ越しが多くて、3歳までは北海道。そのあと兵庫県に1年いて、小4初めまでは茨城県で生活しました。そしてインドネシアのジャカルタに行ったのですが、小5の後半にコロナウィルスが流行し始めたので、安全のために、母、兄、弟、僕、の4人で日本に一時帰国。そして中学入学の際に、オーストラリアに移りました」

さまざまな土地での生活は大いに楽しんだ。しかしオーストラリアでは、茨城時代の友人と電話をするたび、日本の生活を羨ましく感じていたという。

おもしろいことばかり聞かされていたんです。給食の時間の話や、『友だち同士でじゃんけんをして、負けた方がアイスをおごる』とか。オーストラリアの同年代は、人と群れないというか、自立心も強いのでそういう遊びはしません。でも、友だち同士でつるむ感じが、なんか日本っぽいな…いいなぁと思っていました(笑)」

両親は、いつも無条件で応援してくれる

日本の高校に行きたい。そのことを両親に相談すると、すぐに受け入れてくれた。

「両親から反対を受けたことは、今までに一度もないです。いつも無条件で応援してくれて、ホントに、素晴らしいなと感じています」

志望校は、両親と塾の講師と一緒に考え、馴染みのある茨城県内の学校にすることに。さらに両制度がある点にも考慮し、土浦日大を選択した。「受験科目は、国語、数学、英語。国語は苦手だったので、土日に通っていた補修授業校で習ったり、問題種を解いたり。数学はオンライン塾で勉強して、どうにか合格できました。受験と入寮のときには、母が日本についてきてくれました」

親元を離れての、寮生活からスタート。戸惑いもあったのではと思いきや、すぐに馴染めたという。

「初日に、一緒に入寮した帰国性のひとりに『N?』と声をかけられたんです。なんとジャカルタの日本人学校に同じ時期に通っていて、僕のことを覚えてくれていて(笑)。それで意気投合しました。先輩たちも優しいですし、寮生活はスムーズに始められました。寮にいる帰国性は全学年を合わせると30名ほどで、面白い考え方や行動をする人が沢山いて飽きません」

将来は、父のように海外で仕事がしたい

日本での学校生活は、期待していた通りに謳歌できていて、クラス、寮、テニス部と、それぞれの場所で友人関係も充実している。また、海外での経験も役立ち、英語の授業のテストでのリスニングやリーディングはつまずくことなく回答。ネイティブの先生との会話も流暢だ。さらに、国語は不得意ながらも古典の成績は最近急上昇。上位の成績を収めている。

「勉強面は、宿題を提出期限に間に合わせるのが大変です。生活面では、お風呂の道具や事業に使うノートはセールやポイントを活用しながら購入しています。お金があるとつい使ってしまうので気を付けないと(笑)」

勉強にも生活にも真面目に取り組んでいる。時には、手を抜きたいこともあるのでは?

「いや、親が一生懸命育ててくれていることを知っているからこそ、僕も一生懸命頑張りたいんです」

どんなときもサポートしてくれる家族への感謝は忘れたことがない。今後もその思いをもちながら、自分の目標に向かっていきたいと話す。

「まずは、高校在学中に英検準一級を取りたいです。そして将来は、父のように、自分も海外で仕事ができるように英語力を鍛えたいです」

親への感謝

子どもの頃から海外で暮らすという貴重な経験をさせてもらえて、本当によかったです。インドネシアに引っ越すときは、日本の友だちと離れることが嫌で不安も大きかったですが、いざ暮らしてみると充実していました。現地の人との交流を通して、まったく違う世界があることを知って学びが多かったです。また、海外で英語や生活に困ると、両親は絶対に助けてくれたことも大変感謝しています。

滞在歴

日本0歳~9歳、公立小
インドネシア9歳~11歳(小5・3月)、日本人学校
日本11歳~12歳(小6・3月)、公立小
オーストラリア12歳~15歳(中3・3月)、インター
日本16歳(高1・4月)、私立高

取材:2024年11月現在 / 文:本誌編集部、竹部伸(株式会社ニイモモクリエイト)