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インタビュー|久保純子さん どんなことも、すべては自分次第。前進し続ければ、開かない扉はない

フリーアナウンサーの久保純子さんは、7年前(2022年9月のインタビュー時点)からニューヨークに在住。現在は、なんと、現地のモンテッソーリ教育の幼稚園で先生の仕事をしています。幼少期から海外で過ごす機会が多く、意欲的に育った久保さん。学生時代に得た学び、そして、ふたりの娘さんへの教育についても伺いました。

英語力ゼロのロンドン時代。浴衣を着て登校し“扉”を開く

―――久保さんは、小学校4年生から中学1年生までは、お父様の転勤によりロンドンで過ごされたとか。幼少期はどんなお子さんでしたか?

久保純子さん(以下、久保) 渡英以前の日本にいた頃は、兄と一緒に日が暮れるまで外で遊んでいるような子でした。いつもTシャツと半ズボン姿の、活発な子(笑)。ただ、ロンドンで生活を始めたばかりのときは英語を一切話せなかったので、途端に貝のように口を閉ざす子になって……。そのうちに、このままではいけないと自分なりに考えて、当時日本で流行っていた香りつきの消しゴムや折り紙を学校に持っていったり、浴衣を着て登校したり。仲間に入れてもらうきっかけ作りを一所懸命試しました。「みんなと遊びたい!」という気持ちで行動を起こしたんです。

―――自ら道を開拓したのですね。

久保 どんな環境に身を置いても、すべては自分次第ですから。鍵をどうにかしてこじ開ければ、開かない扉はないんですよね。それは、イギリスから帰国した際も同じで、今度は「日本の中学校に馴染まなきゃいけない」と思ったので、英語の授業ではカタカナ風の発音にしてみたり……。でも、それは苦痛ではなかったですよ。自分なりの、生きるための方法だったんです。

左/ロンドンで過ごした小学生時代は、自ら友だちを作る工夫を重ねた。右/高校生になると、アメリカのウィスコンシン州とニューヨークにホームステイ留学をした。

過保護にならずに背中を押してくれた両親に感謝

―――ご両親からは、どのような教育を受けて育ったのでしょうか。

久保 「〇〇しなさい」と言われた記憶はないです。いろいろなことを自由に選択できましたし、両親は、私の興味を広げるサポートをしてくれました。子どものことは甘やかさず、様々な経験を通して成長させるべきという、「かわいい子には旅をさせよ」という句がありますよね。私の両親はこの言葉を実践していました。中学1年生のときは、携帯電話がない時代なのに、フランスの田舎町にひとりで行って、ホームステイをしながら語学学校に通ったこともあるんですよ。そのような経験をさせてくれて、感謝しかないです。

―――どんなことにも挑戦させてくれたのですね。

久保 過保護にならずに、背中を押してくれました。それから、母は、「継続は力なり」ともよく言っていました。何においても、頑張り続ければ道は開けるのだと。

―――高校に入学してからも、チャレンジ精神旺盛だったとか。

久保 まずはアメリカのウィスコンシン州に留学しました。ホームステイをしながら現地の高校に行って、さらにニューヨーク州の現地校に編入して卒業したんです。このときは多様な人種の人たちや世界観に触れて、久保純子のベースを作ったと思えるほど、貴重な経験を味わいました。

―――そして帰国後は、日本の大学で英語の教職免許を取得なさったそうですね。なぜ教職を?

久保 子どもの頃から「先生になる」ことが夢だったんです。ただ、実際に教師になるのは、人間的にもっと成長してからのほうがいいのではと思い始めて、最終的には進路を変更しました。子ども向けの番組の制作にも興味があったので、『セサミストリート』の日本版のようなものを作りたいという目標をもって、NHKに入局したんです。入局後はアナウンサーとしての業務で手一杯で、目標は実現できませんでしたが、そのうちに結婚して30歳で長女を出産し、子育てをするなかで、“生の勘”がある間にやはり子どもに関わる仕事をしたいと思うようになり……。悩んだ末にNHKを退職しました。

モンテッソーリの教師の資格を取得し、夢が実現!

―――その後の展開が気になります。

久保 民放で子ども番組の制作をする機会を得ました。夢への第一歩を踏めて、感無量でしたね。そして、次女を出産したあとに、夫の転勤でアメリカのカリフォルニア州へ。ちょうど40歳を迎える頃で、このとき原点に立ち返ってみたんです。そうしたところ、私はやはり子どもの教育に携わりたいのだと再認識して、夢を叶えるべく、モンテッソーリの教師の資格を取ろうと決めました。

―――そして見事に資格を取得して、7年前からはニューヨークでの生活を。娘さんたちの成長を見届けたうえで、昨年から幼稚園の仕事をしているのですよね。

久保 履歴書を送って面接を受けて、第一志望の幼稚園で働くことができています。ニューヨークで就職をするのはもちろん初めてですし、フルタイム勤務で、しかも毎日英語。初出勤の日は、最近こんなに緊張したことあったかな?と思うほどの緊張感で、手が冷た~くなりました(笑)。でも、この刺激が私の元気の源。今は人生100年時代といわれていて、私は折り返し地点にいます。自分のやりたいことにはどんどん挑戦して、残りの人生も楽しみたいです。

現在は、ニューヨークのモンテッソーリ教育の幼稚園に担任の先生として勤務。長年の夢「先生になる」を見事に叶えた。

―――娘さんたちへの教育で心がけていることを教えて下さい。

久保 今私が携わっているモンテッソーリ教育は、教えることは一切せず、子どもを見守りながら導く教育です。私自身、もともとそういう姿勢を意識していましたが、モンテッソーリの勉強を始めてからは、娘たちに対して「〇〇しなさい」という発言は皆無になりました。彼女たちが自分の力で育っていくことをサポートする。それが大事だと思っています。

―――娘さんたちに口出ししたくなるときは、どうするのですか?

久保 反抗期の時期は、キーッとなることはありましたよ(笑)。でも、そういう場合は自分にタイムアウトを与えていました。「ママはママ1年生だから、間違うこともあるし、嫌なことを言ってしまいそうなこともある。今もそうなる予感がするから、ごめんね。ひとりになるね」と言って、ドアを閉めてひとりの時間をもったり。または、散歩に行ったり、大好きなミュージカルを観に行くなどしていました。娘たちは私のダメな部分を許してくれます。人生を一緒に歩んでいる感じです。

教育で何より大切なのは、生きていく力をつけさせること

―――ニューヨークでの子育てを経験した感想を教えて下さい。

久保 人種のるつぼという背景もあって、ニューヨークには、唯一無二のエネルギーの強さを感じます。このパワー溢れる土地が娘たちには合っているようで、ふたりとも精神がとても強いです(笑)。それぞれが挫折や悩みに直面しながらも、自分で道を切り開いていて、どこでも生きていけそうな力がある。そういう力を身につけさせることが何より大切だと私は思っているので、たくましく育ってくれて嬉しいです。将来のことは何の心配もしていないので、自分の「好き」を見つけて、自分の人生を歩んでくれたらいいなと思っています。

キャスター業は現在も続行。上左・右/2021年7月、アメリカMLBオールスターゲームを現地取材。下左/2021年2月、ニューヨーク総領事公邸にて。オンライン形式で行われた天皇陛下の誕生日レセプションで司会を担当。下右/趣味はブロードウェイでの舞台鑑賞。計18回(!)観たという「キンキー・ブーツ」のフォトスポットで。

―――夫婦で教育の話はしますか?

久保 ふだんからどんなこともよく話すので、教育についても考えを伝え合って、親としてできる限りのことはやろうと話しています。夫だけでなく、家族全員がしゃべることが好きで、食卓では政治の話もします。こちらでは、小学生の頃から政治に関心をもって自分の意見を述べる子が多いんです。日頃から政治を他人事とせず、自分には何ができるだろうと考えを養うことも大事ですよね。

―――最後に、海外に住む読者の方々へメッセージをお願いします。

久保 大変なこともあると思いますが、それも楽しみながら過ごすことができれば、物事は意外と良い方向に広がっていく気がします。わからないことがある場合は、人に聞く。そうすると、助けてくれる人は現れますよ。今という一瞬は、過ぎると帰ってきません。ぜひ、楽しむことを忘れずに毎日を過ごしてほしいです。

久保純子さんの一問一答×10

❶好きな言葉は?
継続は力なり

❷嫌いな言葉は?
他力本願

❸どんなときにウキウキする?
ニューヨークの街を散歩しているとき

❹どんなときにげんなりする?
インタビューなどの仕事がうまくいかなかったとき

❺好きな食べ物は?
干し芋

❻嫌いな食べ物は?
ありません

❼朝起きていつもすることは?
お気に入りのティーポットとカップを用意して、紅茶を飲む

❽寝る前にいつもすることは?
ヒーリング音楽を聴く

❾マイブームは?
ぬか漬けを漬けること

❿生まれ変わったら何になりたい?
ミュージカル女優(笑)

プロフィール

久保純子(くぼじゅんこ)さん

1972年、東京都生まれ。小学校時代をイギリス、高校時代をアメリカで過ごす。大学卒業後はNHKに入社し、ニュースやスポーツ番組のキャスター、ナレーター、インタビュアーなど幅広い分野で活躍。2004年からはフリーアナウンサーとしてテレビやラジオに出演する一方、執筆活動や絵本の翻訳も。2014年には、モンテッソーリの国際教諭資格をカリフォルニア州で取得し、2022年、念願のモンテッソーリ幼稚園での勤務を開始。14歳と21歳の娘の母。

文・編集/『帰国便利帳』編集部、田中亜希
撮影/堀応樹
※2022年9月にインタビュー

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