防衛手段としてマルチリンガルに
3か国語以上を操ることをマルチリンガルというが、絵本を通じて子どもをマルチリンガルに育てられるというアプリ「ことばの宝箱」が話題だ。同アプリでは、100冊以上の絵本を5か国語(日本語、英語、中国語、スペイン語、韓国語)で読み聞かせできる。海外在住のユーザーからも「外国にいると日本の絵本を買うのが大変なので助かる」「日本や世界の昔話を読み聞かせできる」と好評とのこと。
今回は、前編後編と2回にわたって、同アプリを開発した株式会社多言語教育推進会の増田真由美(ますだ・まゆみ)氏に、アプリを開発した理由などを伺った。
<絵本アプリ「ことばの宝箱」>(https://multilingual-training.com/)
・グリム童話やイソップ童話、日本昔話、中国故事、オリジナル絵本など100冊以上を収録。5か国語(日本語、英語、中国語、スペイン語、韓国語)で読み聞かせができ、音声はすべてネイティブによるナレーション。
増田氏は、日・中・英の3か国語を話し、2歳になるお子さんを育てているママである。マルチリンガルである増田氏が多国語の絵本アプリを開発した理由を尋ねると、「3か国語を話せるというと、実家が裕福で海外留学できるような恵まれた環境だったと思われがちなのですが、そうではありません。私が3か国語を話せるようになったのは、中国生まれで7歳まで中国で育った生い立ちが関係しています。言葉を覚えることは防衛手段であり、生きるための手段でした」と教えてくれた。
その意味を詳しく伺ってみると、第2次世界大戦が大きく関係していた。
「祖父母は日本人で、祖父が軍の兵士だったことから、新婚の2人は中国へ渡りました。その後、日本の情勢が悪化した際に日本勢は日本に引き返すことになりましたが、その帰国の船に乗れるのは部隊に所属する者のみで、家族は乗せてもらえなかったそうです。祖母は祖父と生き別れ、中国に取り残されてしまいました。まだ20歳だった祖母は、中国語を覚え、死に物狂いで日々を生きたといいます。その後、父が生まれ、私が生まれました。私の母は中国人で、私はいわゆる日本と中国の混血です」(増田氏)
日本では友だちに恵まれたが、苦い思いも
増田氏が家族とともに日本に移り住んだのは約30年前の7歳の頃で、小学校1年生の途中だ。当時の増田氏は中国語しか話せなかった。
「中国では両親は共働きで中流家庭、ある程度の貯金を持って日本に来たのですが、1980年頃は人民元を日本円にするといくらにもならず、両親は昼夜問わず働きに出るようになりました。そのため、朝は両親が不在で、私は一人で朝ごはんを食べて小学校へ行っていました。夕方に帰宅すると、両親は働きに出た後なので、また一人。宿題をして、夕飯を自分で作って食べて寝る、という一人暮らしのような生活を10年ほど続けていました。今思えば大変でしたが、学校の友だちにも恵まれ、たくましく育ちました」と増田氏。
学校生活は楽しかったが、大人になるにつれ「苦い思い」も経験するようになったという。
「中国にいるときは『日本人は日本に帰れ』と罵られることがありましたが、日本にいれば今度は見ず知らずの人に『中国人は中国に帰れ』と言われたりするのです。日中関係が悪くなると、私が中国人と日本人の混血であることを知っていて、あれこれ文句を言いにくる人もいました。そういう経験をするうちに、罵られない方法を学びました。それは、日本にいるときは日本人らしく、中国にいるときは中国人らしくいるという事です。その防衛策の大きな部分を占めるのが、その国の言葉を話すことでした」。明日掲載の<後編>に続く。(取材・文/中山恵子)