巻頭インタビュー

関根勤さん

人の子として親として

お笑いタレント 関根勤さん

今や娘の麻里さんと共にバラエティ番組では欠かせない存在である、お笑いタレントの関根勤さん。「理想の親子ランキング」で は親子で殿堂入りを果たし、誰もが認める“理想のパパ”として知られる関根さんは、どのような子育て観をお持ちなのでしょうか?
お話を伺いました。

 

本当は、大学時代まで消防士になるつもりだった

まずは関根さんの子ども時代のお話からお聞きしたいです。どのような家庭環境で育ちましたか?

関根勤さん(以下、関根)   関根家は父方の祖父母に父、母、14歳上の兄、9歳上の姉、7歳上の兄、そして僕という家族構成でした。四人兄弟の末っ子でしたし、兄や姉との歳も離れていたからか、僕はれっきとしたワガママ息子に育ちました(笑)。両親は厳しい人でもなかったので、まったくプレッシャーなく生活していましたね。親父は消防士でした。すごく真面目な人で、酒もタバコもギャンブルもやらない男。おふくろは明るくて楽しい人でしたよ。
 昔は漫画を描くのが好きで、一瞬だけ漫画家になりたい時期があったのですが、対象を素早く描写するクロッキーというものがあまりにも苦手でその夢はあっさりと諦めて、そこからはなんとなく「親父の跡を継ごうかなぁ」と漠然と思っていたんです。兄貴は二人ともサラリーマンなんですが、親父に似て酒が飲めないから、付き合いが大変そうだった。そんな姿を見ると、消防士は普通の会社のサラリーマンほど我慢して酒を飲まなくてもいいし、公務員だから安定してるでしょう。おまけに火事や災害の時に真っ先に現場に駆けつけて人の命をも救う……有意義な仕事に感じたんです。でもそれって、僕の中では消極的選択でした。「この仕事がしたい!」っていう確たる希望がなかったので、消去法で消防士。でも、親父にその話をしたら、えらく喜びましてね。「勤が俺の跡を継いでくれるぞ!」って。もうあの時の破顔といったら忘れられないですよ。なので、大学もそのつもりで親父に薦められるまま日本大学の 法学部に進学しました。

 

それがなぜ、お笑いタレントの道に?

関根    もともとお笑いは好きで、生活の楽しみの一部だったんです。一番わかりやすいエピソードは、僕が小学一年生の時の話。当 時担任だった先生がひどく厳しい人でして。その頃は脱脂粉乳に死ぬほどマズいパサパサのパンが給食の定番だったんですが、超がつくワガママ少年だった僕は、それらを絶対に食べたくなかった。先生に「残ってでも食べなさい」って言われても頑なに食べず、遅くまで居残るという攻防戦を毎日繰り広げていたんです。あれは今思い出してもすごく辛かった。そんな鬱々とした毎日で楽しみだったのが、お笑い番組だったんです。両親からは特にテレビを見るなとも言われてませんでしたから、お笑いには本当に救われました。
 それから自分でもモノマネをしたり、友だちとコンビを組んでたくさんの人の前でネタを披露する機会もありましたが、やっぱり特にお笑いの道で食って行く気はなくて。ただ、転機になったのが大学時代にTBSの『ぎんざNOW!』という番組の「素人コメディアン道場」で5連続勝ち抜いてしまったことでした。ファイナルの審査員の一人に、今僕が所属している浅井企画の社長がいて「ウチでデビューしよう」と声をかけてくださったんです。でも、僕当時ド素人ですよ?クラスのおちゃらけ者に毛が生えたような僕が、小学生の時にテレビで見ていたスターたちと共演できるなんて、まったく自信がなかった。けれど、僕がもう少し歳をとった時「あの時、誘いを受けていれば自分もお笑いをやっていたかもしれない」と後悔したくはなくて。親父に「消防士じゃなくて芸人になる」って言ったら残念がっていましたが、最終的には許してくれました。亡くなる前に、娘も見せられましたしね。

 

娘にとっては父親じゃなく年上の友だちだった

麻里さんの子育てエピソードもぜひお聞きしたいです。

関根    麻里は本当によく笑う子どもでした。麻里が生まれた当時、僕は31歳。あの頃は仕事もなくて、僕は麻里にベッタリでしたね。 仕事があっても早く帰ってきて、お風呂でふざけあって40〜50分。それから布団の中で本を読みながら、またふざけて一時間。クレヨンしんちゃんとパパみたいにひたすら二人でギャグを連発していました。だから、妻もきっと楽だったと思います。朝と昼だけ頑張れば、夜は僕がずっと麻里の面倒を見ていたので。妻は僕と違ってしっかりしているから、しつけは妻が担当。僕は父でもなんでもない、ちょっと年上の面白い友だち、くらいの存在だったんだと思います。だからか、反抗期という反抗期もありませんでした。

 

関根さんにとっては初めての子育てだったわけですが、何か心構えはありましたか?

関根    本を読んだりとかなり勉強しました。ちょうどその頃少年犯罪の件数が急増していて、テレビを見ると子どもに関する犯罪の ニュースが度々目に飛び込んできたんです。そして、罪を犯した少年の親は決まって裁判所で後悔する。その事実に僕は「気づくのが遅いよ」といつも思っていました。子どもは家庭に見捨てられたことをきっかけに、学校、地域、世間に見放されてドロップアウトしてしまう。だから、まず家庭で守ってあげるのが何より大事なんだと、その時に感じたんです。だから、うざったい時もあったかもしれないけど、ふざけながらも時には「麻里のためなら死ねる」と、真剣に伝えたこともありました。この子は僕が守らないといけないと思ってましたから。
 とはいえ、進学なんかに関して僕が口出しをしたことは一回もありません。幼稚園の年中の時からインターナショナルスクールに通わせましたが、それは英語がしゃべれた妻の判断ですし、アメリカのエマーソン大学に進学したのも、麻里の希望でした。僕は「どうぞ どうぞ」と言うだけ(笑)。

 

留学時はどのようにコミュニケーションをとっていらっしゃいましたか?

関根    こまめに連絡を取り合っていましたし、長い休みには家に帰ってきていたので、僕としては「電車で2時間位の場所にある大学 に行かせている」感覚でした。留学中は確かに心配していましたけど、麻里はしっかりした子だったんで、安心でしたよ。ただ一度だけ「レポートが書けない」って泣きついてきたことがあったんです。その時、僕もたまには親父らしい一面が見せたくて「麻里、そろそろ優等生の仮面は脱いでいいんだよ」と言いました。僕は成績が悪かったのですが、彼女は勉強もできたし、真面目でしたから、もう楽にしていいよって。でも、そんな僕の言葉に麻里は「一緒にすんなよ!」とツッコミを入れてきたんです。さすが我が娘ですよ。結局、学部首席で卒業までしてくれて、今では素敵な夫と可愛い孫も一緒に、元気でいてくれる。それで僕は幸せです。

 

いつも君の味方だとメッセージを発して

関根さん親子に憧れる親御さんはたくさんいらっしゃると思います。最後に、関根さんの子育てのこだわりを教えてください。

関根    やっぱり、いつでも寄り添ってあげることじゃないでしょうか。特に女の子は、何か悩みを相談してくれたらすぐに答えを教えるのではなく、全部話を聞いて「それは大変だったね」と共感してから、アドバイスを送ってあげてください。世間一般で言う子育て世代のお父さんは働き盛りですから、僕のように子どもにベッタリというのは難しいかもしれません。ですが、「いつも君のことを気にかけているよ」というメッセージを発してあげるだけでいいと思うんです。


※ 2017 年2月インタビュー

 
関根勤さん 一問一答