国境越えの子育て

vol.2

国境越えの子育て

 
Vol.2

海外駐在員を辞めてからは、すべてが“サバイバル”。

そこで得た度胸で将来を切り開いていってほしい

阿世知直樹さん (45歳)
飲食店料理長
 

仕事の都合によって夫婦別の場所で帰国準備

独身時代にオーストラリア・ゴールドコーストでの赴任経験を持つ阿世知直樹さんは、ホテル経営の会社の海外駐在員(ゴルフ場内レストラン責任者)としてマレーシア・ジョホール・バルに渡航。約1年後、奥様と7歳の御長女、2歳の御長男を呼び寄せ、会社を辞めて和食屋を開業、その後同国ペナンのホテル内日本料理店の料理長として単身赴任し、御家族で帰国したという経歴の持ち主だ。

「海外で料理に携わりつつ子育てをしたいという思いをなんとか実現していく一方で、子どもたちには日本人として日本で日本の教育をきっちり受けさせたいとも考えていたため、長女が高校受験を約1年後に控えた年、仕事に区切りをつけて帰ることにしました」

帰国時は、とにかく“ドタバタ”だったとか。

「帰るにあたって、私としてはとにかく日本での職を決めないといけないわけですが、ペナンからネットで応募しても面接時とのタイムラグから条件の合うものがなかなか見つからない。ですから、職、そして家を探すため、家族より3カ月程前に私だけ帰国しました。 ジョホール・バルにいた妻は学校の手続きから引越し、不動産の売却まで全てやってくれました。私もその場で関われたら良かったのですが、そもそも帰国前は家族と離れたペナンにいましたし、帰国後も何しろ日本での足固めに必死で、余裕はありませんでしたね」


 

帰国後、無理やりではなく自然に馴染むまで見守った

帰国後、お子さんの教育についての御苦労は?

「2人とも公立に通わせたのですが、長男はすんなり溶け込んでいました。 編入当日に10人くらい家に連れてきてゲームをしたり(笑)。 逆に長女のほうは馴染むのに苦労していましたね。もともとおとなしくもあり、友だちがなかなか出来なかったんです。 「今日は学校で誰とも喋ってない」などと言っていました。 ただ、ずっと黙って部屋から出ないような状態ではなく、家では妻とよく喋っていましたから、「そのうち大丈夫になるだろう」とそれほど心配はしていませんでした。 それに万が一、本当に頑張った上で学校に行けなくなっても、それはそれでいいのではないかと考えていました。 やるだけやってダメなら、いまの時代は通信教育で学ぶという選択肢もあるのですから。 結局は、吹奏楽の部活に入ったことをきっかけに友だちも増えていったようです」

 

身につけた国際感覚と度胸を活かしてほしい

現在、御長男は公立小学校の5年生、御長女は私立高校の1年生。お2人とも、元気に通っているとか。

「長男は変わらず友だちいっぱい(笑)。長女も楽しそうですね。現地では英語の家庭教師をつけていたおかげで英語が得意なのですが、それを伸ばせる環境で満足しているようです。2人とも、今後は英語力にプラスできるさらなる強みを、大学を卒業して社会に出る前に身につけていってほしいですね」

ジョホール・バルでの海外生活経験は、大きな強みとなりそうですね。

「ええ。子どもたちは日本人学校に通いつつも、約6年間、日本人が多く住む居住エリアではなく現地の人々と同じ地域で暮らしてきました。 その現地コミュニティでの感覚を忘れずに、国籍や民族で区別することなく同じ人間として人と向き合える力を伸ばしていってほしいですね。 それと、私が海外駐在員でなくなって以降、はっきりいって“サバイバル”な状況で育ったので、「度胸」はついているはずです(笑)。 その強いハートを活かして、留学でも何でも、自分のやりたいことに臆せず飛び込んでいってほしいですね」

 

 
滞在期間
◆マレーシア・ジョホール・バル
2002年1月〜2003年2月(直樹さんの単身赴任)
2003年3月(長女:小1、長男:2歳)〜
2009年6月(長女:中2、長男:小3。ともに日本人学校)
◆マレーシア・ペナン
2006年7月〜2009年6月(直樹さんの単身赴任)